付録というのは、詩人の谷川俊太郎さんが運転するスポーツカーの助手席に乗った佐野洋子さん。

アウトドア好きの沢野ひとしさんが運転するランクル(※TOYOTAのランドクルーザー)と谷川さんが運転するスポーツカーが、ガヤガヤと鎌倉のアトリエにみえたんです。第三京浜を「追っかけっこしながら来た」と言いながら。

佐野さんは「なんだかおもしろそう。私にも教えて」といった“押しかけ弟子”でしたね。それが初めての出会いです。
 

 


――その後も何度かお会いされたのですか。

山本さん:最初はわたしのアトリエで、二度目は佐野洋子さんのアトリエで、三度目は電話で銅版画を教えたんです。佐野さんのご本をたくさん読んでいましたので、すぐにうちとけましたね。

そのころ佐野さんは谷川さんとご結婚されていたので、谷川さんを交えて食事をしたりもしました。

――「押しかけ弟子」の佐野さんは、どんなお弟子さんぶりでしたか。

山本さん:「銅版画のヒミツを全部言いなさいよ」って迫られて。佐野さんは武蔵野美術大学デザイン科を卒業されていたので、版画の基礎はもちろんご存じでした。実際に銅版画の作業を始めると、沢野さんがぎこちなくやっているのを見て、「ちょっとどきなさいよ、私にもやらせて」というふうで。様子を見ながら反応してくるのが佐野さんらしいな、と思いました。うれしかったら「うれしい」、嫌なら「いや」と、反応するのがとても早い方でした。がまんしないのね。

翌1992年には、東京・銀座のガレリア・グラフィカが企画した「山本容子と子分たち」と題したグループ展が開催されました。親分は山本さんで、子分は和田誠さん、佐野洋子さん、沢野ひとしさんという大物ぞろい。山本さんはアポリネールの『動物詩集』、和田誠さんが『マザー・グース』、佐野洋子さんはちょっとエロティックな男女の図、沢野ひとしさんは素朴なスケッチ、と個性豊かな50点ほどの作品が展示されました。