自分の感情を言葉にする作業は、定期健診みたいなもの


ーー何年か前に詠んだものもありますが、すぐにパッと、どんな意味があるのかすらすら出てくるのがすごいですよね。

坂口:やっぱりひとつひとつの歌をすぐ思い出せるんですよね。写真よりもっと気持ちの思い出し方が強いんです。感情が引き起こされる感じがあって、それはすごく面白い。
日々生きていて、なかなか自分の感情を言葉にしなくないですか。僕は短歌を作るまではしてなかったんですよ。日記も別につけないし、日々ある楽しいことも苦しいことも過ぎ去っていくみたいな感じだった。
 


自分の気持ちって、これは悲しいとか楽しいとかっていう言葉はあるんだけど、それはすごく広範囲なもの。もっと焦点をギュッてやっていくと、私は何に対して悲しくて、何が理由で悲しいのかとかがわかってくる。感情を自分で突き詰めて言葉にしていくと、フィードバックになるんです。こんなことが嫌だったんだとか、こんなことに私は美しいな、素敵だなって思うんだとか。自分自身の定期検診、血液検査みたいな感じです。
 

 


短歌を詠むと、ひとりじゃないと思える


――短歌が人生を支えてくれたそうですが、どんなときにそう感じますか。

坂口:歌が生まれるときって、心が動いたときなんですよね。「せっかくの一回やから天国も地獄も行ったほうが得やん」っていう歌もそうですけど、天国のときに思いつくこともあれば、地獄のときに思いつくものもある。僕の場合は、地獄って歌になりやすい。
今の自分の状態を歌にすることによって、ちょっと俯瞰して見られるんですよね。おぉ、今俺こんな感じか、みたいな。このめちゃくちゃしんどい気持ちって自分だけって思っちゃうけど、きっとこの思いをした方って僕以外にもいるんだろうなって思う。
それはどんな芸術でもそうですけど、短歌って31文字を詠んだだけで、ひとりじゃないんだって思える。心が沈んだときに無理くりでも短歌を詠むと、ちょっと楽になるし、安らげる気がするんです。短歌って自分の精神を保てるツールみたいなものになりうるんじゃないかな。


ーー坂口さんの短歌には、人生で苦しかったときのいろんな思いが滲んでいるわけですね。

坂口:そうそう。人からこんなことを言われてしまったとか、え、突然音信不通になるんですか? とか。そういうことって、あるよね。音信不通になったと思って、家の前を通ったら誰かとベランダにいるわ。良かった、死んでなくて、とか。それが偶然新月の日だったりすると、よしよし、歌にしようかみたいな(笑)。

「短歌にすれば、怒りも嫌な感情も愛おしくなる」坂口涼太郎が実感する、日常を文章にすることで生まれる変化_img0
写真:Shutterstock