舛添氏は、民主党政権時の2010年に「(自民党の)歴史的使命は終わった」として自民党を離党し、自民党は舛添氏を除名。その後、行われた参院選に舛添氏は出馬せず都知事選に立候補。最終的に自民党は舛添氏を支援したものの、党内からは反発の声が上がるなど調整に苦労した経緯があります。

1995年から1期都知事を務めた青島幸男氏も、自民党政治に対する批判を武器に都知事に就任しましたし、さらに遡って1967年から3期都知事を務めた美濃部亮吉氏は、社会党と共産党が支持母体の革新系知事でした。

ここ50年の歴代都知事の選挙を振り返ると、1979年から4期、都知事を務めた鈴木俊一氏が官僚出身であったことを除けば、ほとんどの都知事が国政との関係性が当選の原動力になっています。

前述のように、筆者自身は東京在住が長いですから、地域密着型の政策で争うべきだという意見については、肌感覚で理解できます。一方で、東京は日本の首都であり、国政との関係を切り離して考えることができないのも理解できます。都知事に立候補する人物の多くが、国政との関係を争点にすることはある程度やむを得ないことなのかもしれません。

東京都知事選だけが持つ、他の地域に見られないこうした特徴は、東京という巨大都市ならではの社会環境と密接に関係しています。

東京都知事選はなぜ“国政の延長”になってしまうのか? 過去50年の歴史から見えてくる「巨大都市ならではの要因」とは_img0
写真:古城 渡/アフロ

東京都全体では毎年40万人から50万人が転入あるいは転出しています。人口総数に大きな変化はなくても、相当な頻度で住民が入れ替わっていますから、長年、東京に住む有権者は実はそれほど多くありません。地域によっては、数年で住民の半数近くが入れ替わるところもあり、前の都知事選を知らない都民が大勢います。

数年しかその地域に住まない都民からすると、長い目線での都政よりも、永田町でのスキャンダルや賃金、年金など、国政の問題に関心が集まりやすくなります。結果的に都知事選の争点も国政との関係が強くなってしまうわけです。
 

 


実際、東京以外の地域に住んでいる人にとっても、東京が首都である以上、都知事選がもたらす影響は少なくありません。首都であり、一方で地域行政を担う自治体のトップを選ぶ選挙というのは、本当のところ何を争点にすべきなのか、あらためて問い直してみるのも良いかと思います。

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