紫式部の「嘆き」

“誰かの”ではなく、“自分の”心と体を生きる。『源氏物語』で紫式部が本当に描きたかった女性像_img0
 

藤原道長との結ばれぬ恋を描いた大河ドラマでは、身分の差という大きな枷(かせ)を外すことは叶わず、まひろは熱情に身を委ねることを自らの手で断ち切りました。大塚さんもまた、人生の葛藤を拭えない紫式部のようすを伝えてくれています。
 


気になるのは、紫式部が、「心が望むあるべき自分」と「体が生きる現実の自分の立場」の分裂に苦しんでいたことで、彼女はこんな歌も詠んでいる。

「数にも入らぬ自分の心のままには、我が身はならないけれど、我が身に支配されていくのが心なのだった」(“数ならぬ心に身をばまかせねど身にしたがふは心なりけり”)
「せめて心だけでも、どんな身の上になれば、思い通りになるのだろう。どんな身の上になっても思い通りにならないと知ってはいるが、諦めきれない」(“心だにいかなる身にかかなふらむ思ひ知れども思ひ知られず”)と。

つまり二つの歌を総合すると、
「自分の立場は自分の心のままにならない。その心さえ、不自由な立場に支配されて、思い通りにならない」
というわけだ。

紫式部が“心”と“身”を対立するものとしてはっきり意識したうえで、「自分の体がない」と嘆いていることが分かる。この「身」はもちろん、体というより「身の程」と訳したほうが適切ではある。しかし、その「身の程」というのは、心と対立する体を含めたものであるのは確かだろう。

面白いのは、「“心”が“身”に支配される」という感覚で、彼女にとっての体なり身の上は、心と対立するものであると同時に、心と連動するものだった。そしてその心さえ「思い通りにならない」と嘆く彼女は、体(身の上)だけでなく心もなくしていると認識していたのだった。
 
 


現代日本を生きる私たちにも、心と体が思い通りにはならない感覚は少なからずあると思います。『源氏物語』でも登場人物の一人ひとりに目を凝らすことで、平安中期の貴族たちとの思わぬ共通点が見出せるかもしれません。