その結果、自分についてわかったのは、

1)人が来るのを待つより、人を捕まえにいく方が楽しい(レジ VS 試食販売)
2)黙って黙々と作業するより、人と話す、あるいは声を出して働く方が勤務時間が早く過ぎる(お歳暮包装 VS 試食販売、飲食店スタッフ)
3)伝えたいことを文字にするより、話しことばとして話す方が億劫ではない(ライター助手 VS 通訳)
4)自分とはまったく違う人生を送っている人に話を聞いて、それを別の人にことばで伝えることに強いワクワク感を覚える(環境NGO、通訳)

こんな風に、自分の得手、不得手がわかった頃。米国研究旅行の事後報告会で、皆が嫌がる司会を引き受けたら、尊敬する教授から「司会してくれて助かった、本物のアナウンサーみたいだったよ」と褒められ、初めて「アナウンサー」という言葉が頭にインプットされた。確かに、自分の得意が多く活かせる仕事かもしれない。やりがいもありそうだ。引き続きトライアンドエラーをしてみようと、アナウンサーの就職活動になだれ込んだ。

就職活動中にも発見があった。とある地方の民放の最終面接に足を運んだとき、「きょう決めてくれたら、直ぐに内定を出しますよ。縁もゆかりもない県だと思いますが、3年間働いてくれたら辞めてくれて大丈夫ですから、ご安心ください」と言われ、むしろ「なんと、3年で辞めてほしいのか」と気持ちが引いた。そして、私は腰掛けではなく、一生の仕事と思って働きたいと感じていることに気づいた。最終的に、長く働けそうで、「自分とはまったく違う人生を送っている人に話を聞く」こと、つまり取材もたくさんさせてくれそうなNHKを選んだ。

その後、NHKに就職して順風満帆だったかというと、そうではない。初めての土地、初任地・福島県福島市で初めてのひとり暮らし。家族や友達と離れ、仕事も上手くこなせず、最初の数ヵ月は「このままでいいのか」「明日辞めようか」と真剣に悩んだ。気持ちが重過ぎてベッドから起き上がれず、上司に電話をして仕事を休む日もあった。

「自分らしく働くためのトライ&エラー」を経て、天命の仕事に行き着くまで【50代の棚おろし・住吉美紀】_img0
初任地、NHK福島放送局のスタジオで。

それでも辞めずに続けたのは、トライアンドエラーのおかげだった。

「あれだけバイトや就職活動中に悩んで、自分に合っていそうと行き着いた仕事じゃないか、もったいない」。踏みとどまり、1日1日を重ねるうち少しずつ職場に馴染み、秋頃にはようやく伸び伸びと働けるようになっていた。
 

 


20〜30代は本当によく働いた。この年代でよかったことは、むしろ嫌いなことや苦手なこともやらねばならなかったこと。若いうちは、好きなことだけをやっていると開かない扉がある、と振り返って思う。

自分の意志を超えて、放送という仕事の全体像が把握できただけではなく、例えば、助詞や語尾まで一言一句間違えてはならないニュースは苦手とか、取材から構成、コメントまですべて自分で考えて実施する生中継リポートは大好きとか、その後50代の今でも判断基準となっている「トライアンドエラー」も、業務の中でできてしまった。

そして、「天命」と表現したくなるほどのやりがいとミッションを感じる仕事に関しては、労働時間が長くても、内容がハードでも、何だかへっちゃらだった。すべてを超越した「私は生きている!」という喜びが味わえて、その喜びがお金以上の報酬となるのだということも発見した。