フリーアナウンサーの住吉美紀さんが50代の入り口に立って始めた、「暮らしと人生の棚おろし」を綴ります。

50代の棚おろし「好きのルーツを探る」。私が朝の生ラジオを13年も続ける理由【フリーアナウンサー住吉美紀】_img0
 

朝の日課はまず、ネコたちのご飯、植木の水やり。顔を洗って、朝ごはんは、キッチンで夫のにぎってくれたおにぎりと納豆。その日の主なニュースをチェックしながら、豆を挽いてコーヒーをドリップし、水筒に入れて家を出る。出勤先は、東京千代田区麹町にあるTOKYO FMのラジオ・スタジオだ。

毎朝、ラジオの生ワイド番組『Blue Ocean』のパーソナリティを務めるようになって、もう13年。はじめた当初はこんな年数、続けることになるとは想像していなかった。
 

 


『Blue Ocean』は月曜から金曜、朝9時から11時、生放送の帯番組だ。2時間ひとりでマイクに向かい、その日のニュースや話題に触れ、天気や季節の気分に合う音楽をお届けし、おすすめの話題を紹介する。何よりも大切にしているのは、毎日テーマを決めて送ってもらうリスナーからのたくさんのメールを、丁寧に、一緒におしゃべりをしている気持ちで紹介していくこと。

50代の棚おろし「好きのルーツを探る」。私が朝の生ラジオを13年も続ける理由【フリーアナウンサー住吉美紀】_img1
今はまるで自分の部屋のように馴染んだスタジオ。リスナーからのメールを読むときは、誰かとおしゃべりしている気持ちに。

イメージしているのは、自由に話せるラジオの中の”広場”だ。毎朝ワイワイと広場に人が集まってきて、「おはよう」と声を掛け合い、思い思いの井戸端会議に花を咲かせる。犬を散歩している人もいれば、体操している人もいれば、コーヒーを飲んでいる人もいる。へぇ、と思う程度のユルい話もすれば、人生を左右するような深い話もする。良い一日になるきっかけとなるような場にしよう、というのが唯一のルール。

私はどちらかというと飽きっぽい方なので、仕事であれプライベートであれ、長続きするものは、正直、とても限られている。ただ、その”限られた続くもの”とは、付き合いがほんとうに長くなる。そこには、自分の魂に響く何かがある。
ラジオもそうだ。ライフワークと言えるほどのやりがいと意義を感じるから続いているし、年数を重ねても、不思議なほど飽きることがない。

実は、FMラジオのDJは、幼い頃からの夢のひとつだった。小学校入学前、商社マンだった今は亡き父の転勤に伴い、家族でアメリカ・シアトルに引っ越した。アメリカではどこに行くにも車が欠かせず、車内で耳に、体に染み込むように馴染んだのが、FMラジオ。両親が音楽好きだったこともあり、車内にはいつも音楽が流れた。

そのままアメリカに4年半暮らした。その頃(’80年代前半)は1ドル220円程と、今以上にドルが高く、私たち家族は一度も一時帰国が許されなかった。日本にいる祖母への電話も「3分以内!」と時間を計りながらみんなで受話器を回した。そこで父が思いついたのが、声のお便り。オーディオデッキにマイクを繋ぎ、カセットテープに、祖母宛の声のメッセージを吹き込むのだ。