自分という存在を謙虚に受け止める
そのことに気づき、「そうだ、悩んでいても仕方ない。割り切ろう」と考え、育児休暇をとることに決めました。そしてそれ以後、自分という存在を謙虚に受け止められるようになりました。
「私がやらなければ」と熱意だけが空回りしていた私にとって、先生のお言葉は、自分をありのままに受け入れる大切さを教えてくれたのです。
いくら元生徒とはいえ、「あなたは小さな存在」と、面と向かってなかなかいえるものではありません。いいにくいことをはっきり言葉にしてくださった先生のありがたさを、今もしみじみと思い出します。
どんなときも、「逃れる道」は備わっている
カリスマ性や統率力があるわけでもない自分には務まらないと、一度はお断りした校長職でした。しかし、引き受けたからには全力で取り組むと決め、多くの方に助けられながらここまで進んできました。
けれど今でも「ほかの方であれば、もっとよい選択ができたのではないか」「あのときの判断は正しかったのだろうか」という思いは残ります。また、元来の自信のなさが顔を出し、試練を前にひるみそうになるときもあります。
それでもどうにか進んで来られたのは、「あなたには逃れる道も備わっている」という聖書の言葉があったからです。
神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
——コリントの信徒への手紙 10章13節
前半の「乗り越えられない試練はない」という部分はよく聞く言葉ですから、もしかするとあなたも聞いたことがあるかもしれません。また、つらいときや苦しいときに、この言葉で自分を鼓舞した経験があるかもしれません。
しかし、その次の「逃れる道も備わっている」と教える部分が、私にとっては大きな支えとなりました。自信のない私を強くし、困難のときに勇気をもって前進する力をくれました。
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