夫婦ともに「愛」はなかった


このとき美保さんははっきりと、元夫のことを「彼は家族でない、もういらない」と認識したそう

美保さんは「あなたとはもう一緒に住めない。離婚したい」とその後元夫に伝えたそうですが、彼は猛反対をしたと言います。

離婚の意思を伝えたときの彼の第一声は、『は? そんなこと親に言えるわけないじゃん』でした。『子どもが生まれたばかりなのに、親を悲しませる。そんなの裏切りだ。それに職場にも言えない』と。

彼の口から出てくるのは世間体のことばかりで、私と娘については一切言及しないんです。彼を愛せないことにずっと罪悪感や後ろめたさがありましたが、それは結局彼も同じだったんです。私たちはお互いに親を喜ばせるために結婚しただけだったんだと、そのとき理解しました」

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夫婦の話は平行線でなかなか進まず、美保さんは再びストレスで不眠症を患い始めます。また0歳の娘さんの育児も大変で、美保さんは人生が閉ざされたように感じていたそう。
 

 


「そんなとき、昔ながらの友人が私に会いに来てくれたんです。その頃私たちは30歳でしたが、彼女に仕事を辞めてオーストラリアに行くと報告されました。お金も貯めたし、しばらく海外でゆっくりして、イケメンと国際結婚をするんだと」

27歳が女の最高値、それを過ぎたら結婚できない……そんな文言の呪いにかかっていた美保さんにとっては、大企業の仕事を辞めることも、女性が30歳で、しかも海外で婚活をするということも、すべてが規格外でした

「自分が酷い状況だったこともあり、私は友人の突然の報告に戸惑うばかりだったのですが、そのとき彼女が言ったんです。『一度きりの人生、私は思いっきり楽しませてもらうから』と。

何か意図したわけでもなかったようですが、彼女の言葉は当時心の弱った私にすごく刺さったんです。離婚したい、元夫から逃げ出したい気持ちはあっても、このとき私は無職。小さな娘を抱えて1人ではいまいち行動しきれなかった。でも一度きりの人生、私だって不幸なまま終わりたくない。楽しみたいと、そのとき強く思ったんです

決意を固めた美保さんは、その後思い切って娘さんと2人で関西の実家に帰り、別居を開始したのです。