私は苦しんだが、夫は耳を塞がずに話を聞いた


政の場には憲法に謳われた「個人」という文言を「人」に変えたがっている者たちがいる。今日も労働の現場で、あるいは出入国在留管理局で、人間がその立場や属性によって「死んでもいいモノ」扱いされているこの社会で、憲法にある「個人」をただの人型の総称である「人」という表記にすれば何が起きるだろう。私もあなたも、尊ばれるべき個別の人間ではなく、人の形をした塊の一部になる。塊からはみ出て「モノ」の側に入れられるのは、次はあなたかもしれない。

嫁プレイは、そういう世界への地ならしをすることだった。ハマりながらヤバさに気がついて、とっとと自主廃業できた私は幸運だった。ひどい嫁だと思われようが構わない。日本中をびっしりと覆っている落とし穴の一つに自ら入ってみて闇の深さに気づき、慌てて這い出したのだ。でも這い出せない人も大勢いる。

暢気な夫だが、彼は長いこと古い穴の中で暮らしていたんじゃないかと思う。無防備な少年が、先祖とか長男とか受験とか運動部とか就職とか男社会とか才能とか肩書きとか競争とか、いろんな「あるべき」「勝つべき」お題を突きつけられて、認知を歪めながら生き延びたのだろう。誰だって、見たいように世界を見て聞きたいように話を聞いて、自分を守っている。認知は歪むものだと知った上で、物事はああもこうも読めると柔軟に視点を変えられれば、他人の事情を想像しやすくなる。自分もいろんな生き方を選べるようになる。それを阻むのが「この道しかない」という脅迫である。小心者の権力者が言うこともあるし、大人が子どもに良かれと思って言うことも多い。「これしかない」と認知の歪みを一つに固定したら、変化に適応できなくなる。オルタナティブがないのが、一番恐ろしいことだ。生きていると予想外のことが起き、思うようにならないこともある。助けが必要な時もある。どのような立場になっても幸せに生きる選択肢が用意されているのが、自由で豊かな社会だ。

ワクワクで夫の姓を名乗った私の結婚。「嫁プレイ」を抜け出して今、いろいろあった夫と労い合いたいこと【小島慶子】_img0
写真:Shutterstock

今いる場所からこぼれ落ちたら、周囲が望む生き方から外れたら、もうおしまいだと思って生きるのは苦しい。この道しかないと自分を追い込んで、思考停止に陥ってしまう。現状に疑問を持てば余計に苦しくなるだけだ。考えることを避け、自分を語る言葉を持たず、上手な逃げ方や助けを求める方法がわからなくなる。嫁プレイが恐ろしくなった私は、そうではない生き方を選ぶことができた。でも、もしそれしか生きる道がなかったら、きっと心からヨメになりきることで楽になろうとしただろう。

 

夫は私が嫁プレイをやめた時も、会社を辞めた時も、夫のやったことに憤った時も、それで精神を病んだ時も、子どもをオーストラリアで育てようと言った時も、ADHDが判明した時も、夫婦をやめたいと言った時も、耳を塞がずに話を聞いた。夫は自身を語る言葉を持たなかったので返事が欲しかった私は苦しんだが、誰にも強いられることなく自分で考え、選ぶことができた。夫は夫で、長い時間をかけて言葉を獲得するに至ったようだ。私たちは互いの苦しみを体験することはできないが、この関係を苦しみながら生きたことは同じである。それは夫婦プレイじゃなくて、私たちの間に起きたほんとうのことだ。できればそんなことは起きてほしくなかったが、起きてしまった。私も夫もそれぞれに、よく戦った。もう十分に苦しんだ。こういう形の親しみの情もあるのだ。結婚当初はこんな心境に至るとは想像もしていなかったが、なかなかいいものだという気がしている。

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