エッセイスト・小島慶子さんが夫婦関係のあやを綴ります。
私は夫とは対等だと思っていたし、夫も私を嫁とか奥さんとは呼ばなかった。何かを命令することもない。そういう人だから好きになった。でも出会った当時、夫のうんと奥深いところには、女性には母親や恋人や妻や娘という大事な人たちと、ただの性の捌け口でしかない存在がいて、それらは同じ人間ではなく全くの別物だという日本の男性の多くが抵抗なく受け入れている病的に歪んだ認知が巣食っていたし、私の身のうちには、男に施されたがっている女がいた。心地よく従属したがっている女がいつもグルグルと身体中を駆け巡っていた。もちろん、「施してやっている」「俺に従え」なんていう態度の男はまっぴらごめんだ。そんな男は心底軽蔑していたが、男にそんな自覚はないにもかかわらず私自身が温かな施しを受けていると感じ、安心して付き従っていられるような相手を、密かに欲していたのだ。大きな木のように、ただ枝を広げてそこにあるだけの存在に憧れまくっていた。疲れたらそばに行って雨を避け、甘い木の実を落としてもらって、話を聞いてもらう。話し疲れたらふかふかの落ち葉の敷かれたウロに潜り込んで眠る暮らしがしたかった。私はムササビではないし恋人は樹木ではないのでそんなことは不可能なのだが、そういう憧れがあったのだ。けど「私は自由に飛び回る小さなムササビだから、あなたはいつも頼れる巨木でいてね」っていうのは、果たして対等な関係なんだろうか。私が男なら「俺は木じゃねえよ」と言うと思う。
巨樹を求める気持ちは、11歳ぐらいから心中に湧いてきた。思春期の始まりと共に、私は家族で唯一の男性であり経済的強者であった父に完璧な巨樹であることを求め、理想通りでないことにいつも腹を立てていた。それにしても、なんで頭の中にそんな木が生えたんだろう。タネはいつ蒔かれたんだ。何者かを仰ぎ見て讃えたいというこの欲求は、一度芽生えると非常に厄介である。幻の巨樹と比べて、生身の人間の欠点ばかりが目につくようになるからだ。他人はもちろん自分にも批判と罵りの雨を浴びせることになる。第二次性徴と重なったものだから、性的な差異を感じさせる存在に対してはことに残酷だった。それを最初に浴びせられた父は気の毒だった。幼少期は仲良しだったのに、思春期になった途端に娘に大層傷つけられるという衝撃体験をする男性は少なくないと思うが、比較対象は幻なので何を努力しても敵わないことをお伝えしておく。無理に気に入られようとせず、人間は誰も完璧ではないということを娘が体験的に学ぶまで、待つのだ。寂しくなったら、犬を飼うことをお勧めする。父も犬と仲良しだった。
ずっと宿なしのムササビだった私は25歳の時に夫と出会って、いい塩梅のホームツリーだと思った。ここなら住めるかも。それが決定的になったのは、二人で参宮橋の金物屋さんにいたときのことだ。90年代後半である。携帯電話がなかなか繋がらず、私は店の前でアンテナを引っ張り出してリダイヤルを繰り返していた。生理前だったんじゃないかと思うが腹に据えかねて、ついに電話を地面に叩きつけた。道ゆく人はドン引きだった。店の前で粉々になった電話を、夫が黙って拾い集めてくれた。そのあと二人で入ったレストランで「あれを拾い集めるのが俺の役目だと思った」という言葉に、ああやっぱりこの人だ! と私は思った。この瞬間に私たちの共依存が成立したのだと思う。夫は熱烈な信奉者を得て、私は寝ぐらの巨樹を得た(と互いに思い込んだ)。夫は恋人がぶん投げて壊した電話を拾える男でいたかったし、私は恋人に同化して、自分が自分であることを忘れていたかった。でもそれってあんまりヘルシーじゃない。
今は二人にこう言ってあげたい。そこの君、彼女が携帯をぶん投げたのは見なかったことにして、店の中に戻りたまえ。黙って拾ったりしちゃいかんよ。本人が我に返って拾うのを待つんだ。もし芝居がかった様子で拾ってくれるまで待っているようなら、裏口から逃げろ。そんであたしよ、「拾うのは俺の役目」なんて言葉に惚れちゃダメだ。これでこの先何をしても彼にケアしてもらえる! なんて喜んじゃダメだ。自分で拾うんだよ。店の前でそんなことをされた金物屋さんに謝って、通行人にジロジロ見られながらしゃがんで一人で片付けるんだ。で、一緒にいた人になぜ自分には電話を投げつけるだけの理由があったのか、携帯電話がつながりにくいことがいかに不当かを訴えるのではなくて、驚かせてすまなかったと詫びるんだよ。どこまで自分を受け入れてくれるかを試そうとするな。びしょびしょと相手を浸潤するような態度はやめろ。基地局が増えて携帯が繋がりやすくなるまでにはまだあと1〜2年かかるから、テレカを常備して公衆電話をつかえ。まだあちこちにあるだろう。そのままだと、何年か経ったら文字変換の遅いノートパソコンを叩いてぶっ壊して、修理の人から「もう叩かないでくださいね」と言われることになるぞ。機械も人生も思い通りにならないことを、受け入れるんだ、慶子よ。
でもそんな未来の賢者は、あの日の参宮橋には降臨しなかった。そして私たちは、程なくして彼のボロマンションの一室で一緒に暮らすようになる。ひとりぼっちに耐えられなくて食べ吐きに依存していた摂食障害の私と、あらゆる抑圧から目を逸らして言語化から逃げていた彼とは、ぴったりの組み合わせだったのかもしれない。私は彼の部屋でも吐き続けた。彼は気づいてないふりをし続けた。あれから28年。もうすぐ二人暮らしに戻ることになる。私は20年前からもう食べ吐きはしていない。彼はここ数年で人権とはなんであるか、ジェンダー平等とは何かを時間をかけて自習して、つい最近になって、答えることから逃げなくなった。今ではスマホは10万円以上するから、私も地面に叩きつけることはない(ソファに放り投げることはある)。それに電波が繋がらないなんて、東京都心では滅多にないことだ。
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