わがままはお互い様の、対等にはなれない関係


そんな尾崎さんの分身として主人公の以内を見てしまうと、ファンは少しショックを受けるかもしれません。ファンのポストを読みながら「自分を揺さぶり続ける声の正体は、所詮はこの程度の人間の集まり」と切り捨て、「濁りのない剥き出しの好きが、ひたすらに迷惑」とのたまう以内が、特にライブ中に観客をどう見ているか。「推し」を持つ「ファン」ならば、そこに様々な思いが交錯するに違いありません。例えば、愛することと理解することは、必ずしもイコールではないということ。自分が愛してほしい方法で、他者が必ず愛してくれるわけではないということ。

尾崎:わがままなんです。単純に好きでいてもらえればいいわけではないし、何もかも肯定されたらそれはそれで不安になる。一見するとこっちがステージの高いところにいるのに、どこかお客さんに甘えているところもあって。つい文句を言ったりするし、「こんな感じで好きでいてほしい」という理想も抱いてしまう。お互い様ではあるんですが……。でもたぶん、一生涯対等にはなれない関係だと思うんです。すごく歪なんですよね。

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作品が描く「推し」と「ファン」の関係、その愛憎のアンビバレントは苦しいほど。でもそれは、誰かの「推し」になったことのある人、「推し」を愛したことのある人、もっといえば恋をしたことがある人ならば、誰もが経験していることなのかもしれません。

尾崎:ただそれでも、「この人のファンで良かった」と思ってもらえるように頑張りたいんです。この小説を書いた結果、「ショックだ」という意見も多くて。悲しませてしまって申し訳ないと思うんですが、そういうものも含めて、クリープハイプというバンドのファンには、他のバンドのファンでいるより豊かな気持ちになってもらいたい。何かを好きになるというのは本当にしんどい。自分もプロ野球が好きでよく見るんですが、会ったこともない人たちが試合に負けて、なぜこんなに落ち込むんだろうといつも不思議です。でも何かを好きで、そこになぜか執着してしまう人のほうが、たとえ他人に理解されなくても、絶対に得だと思うんです。

アーティストがライブで差し出す「人間としての自分」を、ライブで受け取りたいと考える観客は絶対にいる。プレミアを求めもがく主人公・以内がたどり着いたラスト。そのこじらせまくった姿に青臭くも胸が熱くなってしまうのは、そんな尾崎さんの思いが溢れているからかもしれません。


<INFORMATION>
『転の声』
尾崎世界観・著
文藝春秋

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第171回芥川賞候補作。
「俺を転売して下さい」喉の不調に悩む以内右手はカリスマ”転売ヤー”に魂を売った⁉ ミュージシャンの心裏を赤裸々に描き出す。

主人公の以内右手は、ロックバンド「GiCCHO」のボーカリストだ。着実に実績をつみあげてきて、ようやくテレビの人気生放送音楽番組に初出演を果たしたばかり。しかし、以内は焦っていた。あるときから思うように声が出なくなり、自分の書いた曲なのにうまく歌いこなせない。この状態で今後、バンドをどうやってプレミアムな存在に押し上げていったらいいのだろうか……。
そんなとき、カリスマ転売ヤー・エセケンの甘い言葉が以内の耳をくすぐる。「地力のあるアーティストこそ、転売を通してしっかりとプレミアを感じるべきです。定価にプレミアが付く。これはただの変化じゃない。進化だ。【展売】だ」
自分のチケットにプレミアが付くたび、密かに湧き上がる喜び。やがて、以内の後ろ暗い欲望は溢れ出し、どこまでも暴走していく……。
果たして、以内とバンドの行きつく先は?
著者にしか書けない、虚実皮膜のバンド小説にしてエゴサ文学の到達点。

 

撮影/田上浩一
ヘア&メイク/マキノナツホ
スタイリスト/入山浩章
取材・文/渥美志保
構成/坂口彩
 
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