私たちには「忘れられる権利」があることを忘れない
ネットの情報の削除は順調に進みますが、そんな最中、かつての被害者だった鏑木が今度は交通事故の加害者となり、その件が報道されたことで、黒川が起こした事件まで蒸し返されてしまいます。地道に削除した情報はあっという間にネットに溢れ、黒川の本名や、事件の内容などが拡散される事態に。
結局、黒川はネットの情報を削除することは諦め、事件の当事者である鏑木と向き合うことにします。黒川は鏑木に改めて謝罪し、鏑木も自分から喧嘩をしかけたことが原因であったことを謝罪。ふたりの間のわだかまりは解け、黒川は前を向いて生きて行く覚悟を決めます。
安田は言います。
「自分に非があっても、デマや誹謗中傷に怒る権利はあります。償い、反省したなら、前を向く権利だってある」
黒川の問題は、まさに現代のネット問題の大きな課題です。国民には、「知る権利」があります。一方で、「忘れられる権利」というものもあります。
適切な期間を経た後に、記録にとどめられるべき正当な条件を持たない過去の個人にまつわる情報がWeb上に残っている場合、これを削除すること、検索結果によって表示されないことを求める個人の権利の1つとして提唱したもの。
(一般財団法人日本情報経済社会推進協会HPより)
黒川の場合、結果的に相手を怪我させてしまったのは事実ですが、故意に起こした事件ではなく、悪質性があるとも言えません。それでも、ネットに情報が残り、事実が歪曲されて拡散されてしまうのは大きな問題です。
殺害予告、先鋭化する誹謗中傷…問われるネットリテラシー
また、昨今の炎上事件では、「叩いていい」認定をされた対象には、限度を超えた誹謗中傷が殺到し、時に殺害予告をする人も現れるなど、先鋭化した動きも目立ちます。安田の「自分に非があっても、デマや誹謗中傷に怒る権利はあります」という言葉の通り、たとえ悪いことをした人に対してであっても、何を言っていいというわけではありません。
ネット上では、司法では裁かれていなくても、個人が犯罪やそれに類する現場の写真や動画をアップし、拡散されるのが日常茶飯事です。闇に葬り去られていたかもしれない事実が明らかになる可能性がある一方、一般の人が真実を見極めることは難しく、無関係の人が晒されてしまったり、正確でない情報が拡散されてしまったりするリスクも孕んでいます。
ドラマの中で、「ネットの世界は実は匿名じゃない」という言葉も出てきます。一人ひとりのネットリテラシーが問われています。
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写真/Shutterstock
文/ヒオカ
構成/金澤英恵
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