デートという言葉に抱いた違和感


ひょんなことから仲良くなった男性と、ふたりで食事に行く流れになりました。その人と話すと楽しかったし、素直にその予定を楽しみにしていました。しかし、約束の1週間前から身体に異変が起き始めたのです。

きっかけは、友達との何気ない会話でした。

「そういえば、〇〇さんとはどうなってるの?」
「今度ご飯に行くよ」
「え、それデートじゃん!!!!」

デートじゃん
デートじゃん
デートじゃん

周囲の物音がノイズキャンセルされて、その言葉だけが静寂の中こだまします。

私が男性とふたりでご飯に行く、という事実を知った友人達は、応援する気持ちで盛り上がったのか、「デート」という言葉をしきりに使いました。でも、私としては、デートとは恋人同士がするもの。男友達とふたりでご飯や散歩に行くことなんて普通にあるし、今回はただ人と人同士の付き合いであって、私の中ではデートというニュアンスは毛頭なかったのです。

「デート」という響きを聞いて、一気に心にもやがかかり、暗雲が立ち込めていきました。“その気”がないのに(というか具体的にはこうなりたいとか考えていなかった)、ふたりで食事に行く約束をするなんて、自分はとんでもないことをしてしまったのかもしれない、と急激に不安になりました。

好きでもない異性から女性として見られるのが怖いのは普通、では好きな人からでも異性として見られたら怖い私はどうしたらいい?【とっちらかり女子】_img0
写真:Shutterstock


気になる人と食事に行くことになり起きた異変


そして、これからのことを無意識に想像してしまったんです。将来、相手から“女性”として見られる可能性が1ミリでもあると思っただけで、ものすごく気持ち悪くなってしまいました。そして、そこから1週間、スーパーの総菜コーナーに行っただけで吐き気をもよおすようになったのです。それは楽しみや緊張によるものとは明らかに違う、中2のときに感じた、あのどうしようもない“ざわざわ”と同じ感覚でした。

 

楽しみにしていた食事が近づくと吐き気がしだしたことを友人に報告すると、

「待って、怖いんだけど!!!!!!!!!!!!!!」と困惑。信じられない! といった感じで、まったくその状況を理解も共感もしてもらえませんでした。

そう、私は気になっている、なんなら好きくらいの異性に対しても、女性として意識されること(その可能性が少しでもこの世に存在すること)が耐えられないという体質なのです。

好きでもない異性から女性として見られるのは気持ち悪いと言っていた女友達も、「好きな人からは女性として見られたいものだよ」「むしろ、女性として見られなかったらやきもきする」と口を揃えます。