『海のはじまり』第11話が放送されているとき、「夏くん可哀想」「水季のせい」というワードが、Xでトレンド入りしていました。ぶっちゃけると、わたしも心のどこかでそう思っていた部分があります。
 

 


夏(目黒蓮)が、「本当に俺の子なの?」とか言って逃げるタイプの男性なら、水季(古川琴音)に同情することもできます。でも、夏は一緒に育てる選択肢だって考えていたのに、「夏くんは堕ろすことも、産むこともできないんだよ」と、話し合いもせず、人工妊娠中絶書にサインをさせたのは、水季です。

それなのに、朱音(大竹しのぶ)や津野(池松壮亮)、そして海(泉谷星奈)から、“いてほしい時に、いなかった人”みたいな扱いを受けている夏の姿を見るのが、とにかく苦しかった。

夏の家までの道を教え込んでいたのも、死期を悟り、海に頼れる場所をひとつでも残しておいてあげたいという母の愛からくるもの……といえば聞こえはいいけれど、海のことを考えているのなら、ちゃんと手回しをしておいてあげるべきだと思うんですよね。

夏に新しい恋人=弥生(有村架純)がいるのを知り、言えなくなってしまったというのは理解できます。だとすれば、海にも「パパに、会いに行かないように」と言っておいてあげるべきだと思う。だって、しばらく会っていない元カレが、どんな人間になっているかは、実際に話してみないと分からなくないですか? ましてや、弥生がいい人かどうかなんて、もっと分からない。

この物語、夏が優しい性格のままで、弥生もめちゃくちゃいい人だったから、丸くおさまっているけれど、海を邪険にするような人だったら、どれだけ傷つくことになっていただろう。「親から子どもへのいちばんの愛情って、選択肢を与えることだと思う」と言うのなら、どの道を選んでも大丈夫なように環境を整えておいてあげるのも、親の愛情なんじゃなかな? と思ってしまいました。

でも、最終回まで観たとき、ふと思ったんですよね。「わたしって、このドラマを水季視点で観たことはあっただろうか?」って。夏や弥生に感情移入をしていたから、「水季があの時、ちがう選択をしていたら……」なんて思ってしまっていたけれど、水季にとってはすべての選択が、あの時の精一杯だったんじゃないかなって。