怒ってしまったことに後悔するも
その日、私は親友とパフェを食べるのを楽しみにしていて、昼過ぎまで何も食べていなかったこともあり、正直空腹で少しイライラしていました。でも、遅れてきた親友は、「お待たせっ」と言ったくらいで、ちゃんと謝りませんでした。そこで私は思わず言ってしまったのです。
「15分も遅れてるんだけど?」
すると、親友も何かを察知したのか、「ごめん」と謝ってきました。それくらい許せばよかったのかな、大人げなかったかな、とも思いました。でも、振り返ってみると、自分が蔑ろにされたと感じたとき、それを表明するって、とても大事なことだと思うのです。
遅刻常習犯の思考回路が垣間見えた
あるとき、別の友達と食事に行く約束をしたら、相手が大遅刻してきたんです。でも、謝る様子はない。その友達からのLINEを見返すと、「30分後に行くね」と書いてありました。それを見て、私の中でパラダイムシフトが起きたのです。
そうか、この人は「30分“遅れる”」ではなく、「30分後に“行く”」という宣言をしているのか。だから、遅れている自覚がないし、謝る必要もないと思っているんだ。
平気で遅刻し、かつ謝らない側の思考が少し理解出来ましたが、だからといって相手の行動が許せるわけではありません。色んな感情がわきあがりましたが、そのとき私は相手に何も言えなかったのです。
親友には、怒りを表明できた。でも、もうひとりの友達には何も言えなかった。その違いはなんなのだろう、と考えてみました。その違いは、
・心を許せているか
・ちゃんと腹を割って話してまで関係を続けたいと思えているか
だと思いました。親友には、怒っている自分も見せられる。でも、もうひとりの友達には遠慮して、気を遣って本当の自分を見せられず、聞き分けのいい人を演じてしまった。親友とは、一時気まずくなってでもちゃんと自分の気持ちをわかって欲しいと思ったけれど、もうひとりの友達とは、そこまでして関係を続けたいと思えなかった。これが本音だと気づきました。
相手が大切だから我慢して、機嫌が良くて余裕のある自分を演じるのではなく、大切だからこそ、ときに余裕がなく感情的になってしまう一面も見せられるし、思うことは指摘するべきだ、と思ったのです。
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