しかも、その上、義父の作るお米がめっぽう美味しいのだ。結婚した当初、普段色々なところでいただくご飯に比べても美味しく、驚いた。なぜ父のお米が美味しいのか、夫に聞いても「わからない」という。そこで、農作業を手伝うようになってから、私は職業病的に、父に根掘り葉掘り質問した。すると実は父は、かなりこだわってお米をつくっていることがわかった。

たとえば、太陽光と風が株元に届くように、苗の株間を敢えて広く取って田植えをしていた。そのことで雑草も育ってしまい、手間は余分にかかるが、その分、農薬が少なめでも病害虫に強い、丈夫で太い茎の稲が育つそうだ。どうやったら中身の詰まった稲穂がたくさん実るか、どうしたら安心して食べられる美味しいお米が収穫できるか。「毎年が研究。年一回しか研究成果はわからないでしょ。それを60回近く続けてきて、今に至るんだよ」と義父は言う。

夫は、初めて父の試行錯誤や努力を知り、実家の仕事に、より誇りと意義を感じるようになったようだ。私も、こんなに美味しいお米を、安心して毎日お腹いっぱいに食べられることのありがたみを、心の底から実感するようになった。そして「米づくりを守りたい!」という情熱が湧いた。

黙々と農作業をし無の境地へ…筋肉痛でも気分は爽快!40代からのライフワークが「米づくり」になった理由【住吉美紀】_img0
収穫の時。コンバインの運転も一度デビュー済み。

年々、より社会的な意義も感じながら、義父の農作業をサポートしている。東京に暮らしていると、安心して食べられる、美味しいお米を求める人の気持ちも痛いほどわかる。一方で、出費と手間に対して得られる現金収入が十分ではないことや、毎年米づくりを辞めていく人が産地でも増えていることなど、時代の中で稲作を続ける側の困難も痛感している。

夫は、自営業で始めた飲食店で、お米という食材の美味しさを再発見してもらいたいと、丼ものや卵かけご飯など食べ方を研究するようになった。手づくりのオンラインショップで父のお米を販売し、少しでも価値がわかってくださる方と繋がろうという努力も続けている。私は、「NHK福島に赴任する前の私」のような方、つまり、米づくりが近くにない方々にも少しでも知ってほしいと、色々な場で農作業の体験を語っている。最近はラジオのリスナーさんたちが、義父のお米に親近感を覚え、「住吉米」と呼んでくださるまでになった。本当にうれしい。

米づくりをこの先どうしていけばいいのか、家族単位でも、社会単位でも、答えはまだ見えていない。確かなのは3つ。一、家族でワイワイ集結して行う作業が幸せで、好き。二、大切に育てたお米は、本当に美味しい。三、私と米づくりの付き合いはライフワーク的に、何かしらの形で続いていく。

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