自由に生きられないこと、葛藤があること。どちらが人間らしいのか
かたや、親に支配された、一見「誰もが羨む人生」を送ってきた新次。かたや、施設に閉じ込められながらも、新次が夢見た「魂の自由」を失っていない「それ」。「どちらが人間的なのか?」という新次の自問自答の中で、観客の心には「じゃあ人間って何?」という疑問が浮かんできます。
水原:難しいですね。私たちが普通に生きている中でも、何かに支配されてしまうことってあるじゃないですか。本当ならもっと違う生き方ができるはずなのに、それができてなくて苦しんでいる人もすごくたくさんいると思うし。でも誰もが大きなものの中にいて、今も昔も変わらず、何かに縛られて自由に生きられないのが人生だったりもしますよね。そういう中で、自分のことを知っていくというのはあると思うんです。「それ」のほうが人間らしい生き方にも見えるけれど、でももしかしたら、新次のように苦しんで葛藤することこそが人間なのかもしれない。深い話になっちゃいますけど、自分は何者なんだろうと考えたり、やりたくないことばかりやっている自分の人生に悩んだり、それでもその中で答えを出したりーー私はまだ30代だし、そういうことは全然わかってないんですよね(笑)。ただ新次さんの場合は「それ」との対話で、その先に行くことができたんだと思うんです。ずっと誰かに左右されていた人生の中で、いちばん大事なことについてだけは、自分の考えで結論を出すことができたわけで。ちょっと大げさかもしれないけど、それはある意味では、彼がやっと自分を手に入れたのかなって。
物語の終盤では、新次のそうした行動によって揺さぶられた、まほろのアイデンティティについての問題が開示されてゆきます。自分はいったい何者なのか。それは自身もまた、しばしば考える問題だと水原さんは言います。
水原:自分のアイデンティティについて考えることは、今でも全然あります。アイデンティティって常に移り変わってるものだと思うし、それこそ、日本で過ごしている時は「自分って一体何者なんだろう」とか「なんで日本に生まれたんだろう」とか思うし、アメリカに行ったらアメリカに行ったで、同じようなことを思うし。特に私は多国籍のバックグラウンドで育ってるので、以前は色々不安に思うこともありました。国籍に限らず、新次のようなお金持ちの上流階級の人も、羨ましいなと思いながら見ていると、あんまり幸せそうじゃなかったりもするんですよね。その世界から逃れられない悩みというか。
悩みながらも「自分」手に入れるために、大事なものはなんでしょうか。自分と同じ悩みを抱える存在、その「悩み」を乗り越えてゆく姿は、水原さんにも慰めとなり、勇気を与えてくれたと言います。でもそれ以上に彼女を支えているのは、「何をおいても好きなものがある」ということだといいます。
水原:いちばん大事なのは、音楽。音楽がある世界に生まれてきて、本当に良かったと思います。それから芸術的なものを愛する気持ち。そういうものさえあれば、何があっても生きていけます。仕事はそういうものではないですね。結局は移り変わっていくものだし、自分ではどうすることもできないじゃないですか。もちろんその時、その時で、大切だと思うことはやってきましたが、だからといって仕事が一番ではないです。私は割と何も決めずに「ゴーイングマイウェイ」で生きてきて、ただ自分の好きなものに関わりたい思い続けた結果として、今ここにいると言う感じなんですよね。直感的に好きと思えること、テンションが上がることを選び続けることーーそういう基準が自分の中にあったのがよかったのかなと思います。
<INFORMATION>
映画『徒花-ADABANA-』
10月18日(金)テアトル新宿他全国順次公開
裕福な家庭で育った新次(井浦新)は、妻との間に一人娘も生まれ、周りから見れば誰もが望むような理想的な家族を築いていた。しかし、死の危険も伴うような病気にむしばまれ、とある病院で療養している。
手術を前にした新次には、臨床心理士のまほろ(水原希子)が心理状態を常にケアしていた。しかし毎日眠れず、食欲も湧かず、不安に苛まれている新次。まほろから「普段、ためこんでいたことを話すと、手術に良い結果をもたらす」と言われ、過去の記憶を辿る。そこで新次は、海辺で知り合った謎の「海の女」(三浦透子)の記憶や、幼い頃の母親(斉藤由貴)からの「強くなりなさい、そうすれば守られるから」と言われた記憶を呼び起こすのだった。
記憶がよみがえったことで、さらに不安がぬぐえなくなった新次は、まほろに「それ」という存在に会わせてほしいと懇願する。「それ」とは、病気の人間に提供される、全く同じ見た目の“もう一人の自分(それ)”であった……。「それ」を持つのは、一部の恵まれた上層階級の人間だけ。選ばれない人間たちには、「それ」を持つことすら許されなかった。新次は、「それ」と対面し、自分とまったく同じ姿をしながらも、今の自分とは異なる内面を持ち、また純粋で知的な「それ」に関心を持ちのめりこんでいく……。
撮影/榊原裕一
スタイリスト/小蔵昌子
ヘア&メイク/池田奈穂
取材・文/渥美志保
構成/坂口彩
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