こんにちは、ミモレの川端です。
とある案件で大学を訪れてから、学びたい欲が再燃して、社会学系の本をいくつか読んでいます。

私も大森先輩も社会学部出身です。私は「バイトやサークルに明け暮れて授業に全然出てなかった」というタイプではなく、ひっそりといつも前の方に座ってる。隠れ皆勤賞タイプでした(笑)。

今ハマっているのは内田樹さんの『困難な成熟』

この本は、「大人になる」「成熟する」とはどういうことかを、14歳でも読んでわかるように書かれた本。14歳で読んだら14歳の感じ方があるでしょうし、37歳で読んでも、たぶん50歳でも60歳でも、自分が「大人になり」「成熟する」とはどういうことなのか考えさせられる本であります。短い1節1節で区切られているので、肩肘張らずパラパラと読むことができました。

mi-molletは「半熟」という意味で「半熟から成熟へと向かう今を楽しんで」というメッセージが込められていますが(たぶん、たしか、、、、そんな感じです!)、

内田樹さんの『困難な成熟』には、前書きから
「成熟するとはなんであるかを成熟に先立って知ることはできない」
「成熟すべく効率よく無駄なく努力するということはできない」

とあって、ガーン、まあ、そうですよね、と出鼻をくじかれたのであります。

第1章1節は「責任をとることなど誰にもできない」

起こってしまったこと、しでかしてしまったことは元には戻せない。たいていのことは「ごめん」で済まない。人を殺すレベルの話ではなくても、一度心に傷をつけてしまったら、関係性はその前と全く同じにはならない。覆水盆に返らずです。

それでも、「俺が責任を取るから」っていうのは、責任を取るような事態を予防する文脈で使われているだけだ、と内田さんは指摘します。

ミモレ読者の方は、仕事上、責任ある立場だったり、奥さんとして母として、責任を負う場面が多いのではないでしょうか。

この本を読んで、私が思ったのは(そうは書いてないのですが)、「責任をとる」ということは、過ちをおかした部下や子どもの代わりに土下座をしに行く、とかそういうことではなくて、「裁き」の後の「赦し」の道筋をつける、ということなのかなと。
それが「大人としての成熟」なのだなと思いました。

土曜の午後から、ひどく抽象的な話になってしまいました(汗)。

たまにはそんな難しいことをグルグル考えたりしていると、よく眠れます。

よく眠れたもう1冊は、『日常に侵食する自己啓蒙』。7割くらい読み飛ばしながら(笑)。女性向けの「年代本」と「手帳術」と「片付け」がなぜ大きなマーケットか、ということがわかって面白かったです。

ではではまた〜。