前編では自分のスタイルを見つける、おしゃれとの付き合い方や、選び抜かれたアイテムだけで作る“制服”の作り方をお話いただきました。後編では、マダムが“制服”を作るきっかけになった人生の転機、そして20年後、30年後に美しい大人の女性でいるため“これから”の過ごし方にヒントを教えてもらいました。


佐藤治子(さとう・はるこ)
1947年、群馬県桐生市生まれ。服飾専門学校を卒業後、アパレル業界へ。パタンナーとしてキャリアをスタートし、その後デザイナーに転身。英国ブランド「アクアスキュータム」「イエーガー」などでデザイナー、ディレクターとして活躍。2011年からは価値ある服を再生させるお直しサロン「REMODE」のオーナーに。プライベートでは、31歳のときにシングルマザーとなり、43歳のときにブログや書籍に“ムッシュ”の愛称で登場するヘアスタイリストの満さんと結婚。著書に『普通の服を、はっとするほどキレイに着る』(宝島社)、『スーツケースの中身は旅で決まる』(小石川書館)など。会員制トークサロン「What is my Style?」(夜間飛行主催)で講師を務めている。


“可愛い”は必要なことだけど、心の中だけで充分

「白いノースリーブブラウスは20年前にエルメスで買ったもの。当時は高い買い物だったけど、メンテナンスすれば20年以上きれいに着られるんだから、結局、良質なものはコストパフォーマンスがいいのよ」

――マダムが選び抜いた自分に似合うアイテムだけを着る“制服”を作るきっかけになったのは、最愛のパートナー“ムッシュ”の大病だったそうですね。
「ムッシュが大病を患う前は、職業柄もあるけれど、歩くトレンド状態(笑)。そのときどきで気に入ったブランドを全身で10パターンも20パターンも買い揃えていたの。でも、60歳になったときに、ムッシュが病気をして、デザイナーという職業とはいえ、こんなに服で浮かれていていいの? という思いが頭をよぎったんです。それで、服の棚卸をしようと思い立ち、ほぼリサイクルショップに持って行きました。病院通いをしていた1年は、ジーンズとTシャツとカシミアのカーディガン。これだけ。でも、それで過ごしてみたら、大丈夫だったんです。

「私の基本のボトムはテーパードパンツですが、たまにスカートをはくことも。」夏らしい麻素材のプリーツスカートはシャネルのもの。普段はタイトスカートをはくことが多いそう。

人生はファッションだけじゃないし、ファッションが人間の価値を判断するわけではないですよ。たとえば子育て、親の介護、私のように夫の看病などで大変なときは、服と距離を置いていいんじゃないかな。考えすぎて、ファッション鬱になってる人も少なくないでしょ。いつもおしゃれでいる必要なんてないんです。全部を完璧にしようとしなくていい。子育てに夢中なら、自分のことは後回しで子供を最優先でいいじゃない。1年くらいでムッシュも回復して、私も仕事に復帰。少しずつ服も揃え直し始めたんです。でもこのときには、以前のように何でも着るのではなく、自分らしく似合うものだけにしようと決めました」


ショートが似合う50代になりたくて40歳で髪を切りました

――マダムが40代の頃はどんな時期でしたか?
「私、40歳になったときにバッサリ髪を切ったの。50代になったときにショートヘアが似合う人になりたい、すっきりと生きていたいと思いがあったんです。今になれば40歳なんて若いって思うけれど、当時はその数字にも愕然として。もう逃げも隠れもできないんだなって気持ちになっていました。女性にとって40歳は、その先どうなっていくかの分かれ目なんじゃないかな。30代、40代は同年代でそれほど差はないんです。でも50代は違う。押しも押されもせぬ“おばさん街道”まっしぐらになってしまう人もいる。だから40代からの10年をどう生きるかって大切なんです。どんなことも急にはできないから、未来像を思い描いて10年かけて目標に向かっていけばいい。ちょっとずつ“大人の女”に向かって修行していきましょう。私はmadame Hなんて呼ばれてるけれども、パリに行くと、30歳を過ぎたら、結婚していようがしていまいが、みんなマダムって呼ばれるわけですよ。大人はマダムなの。でも、日本人はいつまでも可愛いマドモワゼル、ガールでいたがるでしょ? それではダメ。“可愛い”は必要なことだけど、外見じゃなく、心の中だけで充分。40代からちょっとずつ熟成に向かっていく準備をしていれば、還暦だって古希だって怖くないし、すごく楽しいわよ」

「年を重ねたら、いつも笑っていないとダメ。笑わないと口角が下がって、不機嫌な人、変な人って思われるの」

――いつも自信に溢れているマダムも壁を感じたときがあったんですね。
「40歳前後は仕事でも大きな事件があったから。アパレルの黎明期から新しいことに挑戦し続けて、お給料もずっと上り調子。いい気になっていたのよね(笑)。そんなときに好待遇のオファーを受けて入った会社で、ぱしっと鼻をへし折られた。当時の上司に『みんなと同じことする人じゃないと思ったから雇ったのに、全然ダメだね』ってハッキリ言われたの。それで、“私って大したことなかったんだ”って気がついたの。そんなことも重なって、心機一転、出直そうと決意して、ショートヘアにしたんです。結局、その会社には一年くらいで契約を切られちゃったんだけど、すごく勉強になりました」

「私にとって定番ではないスカートスタイルには、白×ネイビー×キャメルが珍しい、エルメスのギリ―シューズで」

――職を失ったときは大変だったんじゃないですか?
「息子にも『クビになって、お母さん大丈夫なの?』って心配されました(笑)。私、映画『風と共に去りぬ』の“明日は明日の風が吹く”という台詞が座右の銘なんです。どうやっても、その状況からは逃げられるわけじゃないんだから、“じゃあ、明日考えて明日動こう”って。夜中に考えてもロクなことにならないから、次の日にどうしたらいいか、Aパターン、Bパターンと最悪のCパターンくらいを考えるの。でもね、だいたいCにはならない。人間が考える最悪にはならないんです。これも私の座右の銘(笑)」

「金銀宝石はほとんど持ってない。一粒ダイヤとかパールはあるけれど、今日も忘れてきちゃって指輪だけ。私にとってジュエリーはそれくらい優先順位の低い存在なの(笑)」

――マダムらしい座右の銘ですね。
「こんな座右の銘ばかりの人間だから、かなり大変な状況下にあっても、意外に周りの人にはそう思われないことも多いんですよね。大変なときは、いろいろ重なって悪く考えがちなんですが、冷静に見渡してみると、ひとつひとつの問題は大したことないのよ。まずは置かれている状況を客観的に見る。判断を鈍らせるのは、自分がこんなことをしたら、まわりはどう思うのかな? って考えるからなんです。実はそうやって他人の目を気にしているうちは、まだ余裕があるんですよ。本当に窮地に立たされたら、人目なんてまったく気にならない。だからね、もし大変なときも、人の目が気になっている自分がいたら、まだ大丈夫だなって。そして決断をするときには、あまり欲張らないこと。私はいつも8割は最初から捨てるつもりで、2割を得られればいいかなっていつも思っています。でも、まわりから見ると、私って欲張りな女に見えるらしいんだけど。今だって、やりたいことのうちの8割は諦めてるけれど、それでもまだまだやりたいことがいっぱい。だって、もう私には時間がないから(笑)。1日が30時間あればいいのにっていつも思ってるんです」


さらにマダムのファッション哲学やライフストーリーを知りたい、マダムのような70歳になりたいと思った方は、ぜひ下記の新刊もチェックしてみてくださいね。旅の達人としての一面、巧みな食器選びのセンスなど、ここでは語りきれなかったマダムの魅力が詰まっています。

<新刊紹介>

 
『madameHのバラ色の人生』

佐藤治子 著 ¥1300(税別) 宝島社

コーディネート写真を多数掲載したmadameHのスタイルブック。自身の“制服”に欠かせない私服アイテムの紹介や“ムッシュ”とのカップルコーディネート、自宅の写真やライフタイルに欠かせないお気に入りアイテムなど、プライベートを大公開。時代の先端を行く、若かりし頃のマダムの写真も必見。

 
madame H のおしゃれ図鑑

佐藤治子 著 ¥1300(税別) KADOKAWA

自分らしい“制服”を作るための方法を、イラストとともに綴った、著者4冊目のファッションエッセイ本。ワードローブのメンテナンス術、洋服を賢く選ぶための素材のミニ知識など、多角的にファッションを紐解いた一冊に。madame Hのイメージソースになっている映画やファッションアイコンの紹介も。


撮影/目黒智子  取材・文/幸山梨奈  構成/大森葉子(編集部)