仕事、結婚、子供、あるいは離婚、再婚……。女性の人生は選択肢が多いからこそ、常に「これでいいのだろうか」、「これで良かったのだろうか?」という疑念が拭えないまま歩いている人も多いのではないだろうか。むしろ一生懸命生きれば生きるほど、その葛藤は大きくなるような……。でもそれでいい! 20年前に単身ニューヨークに渡り、時にはよろめきながらも「減速したくない」と走り続けてきた佐久間裕美子さん。そんなニューヨークライフを綴った新著『ピンヒールははかない』を読むと、「もがいて当たり前なんだ」と、ちょっぴり涙が出てくるようなパワーをもらえる。一時帰国された佐久間さんに、自分の生き方を肯定できたターニングポイントを振り返ってもらうとともに、これからも「めいっぱい生きる」術を伺った。

佐久間 裕美子/1973年生まれ。ライター。慶應大学卒業後、イェール大学大学院で修士号取得。その後NYに移り、新聞社、出版社、通信社勤務を経てフリーライターになり、2012年にウェブマガジン『PERISCOPE』を立ち上げた他、アル・ゴア元副大統領からウディ・アレンまで、多数の著名人にインタビューをおこなってきた。主な著書に『ヒップな生活革命』(朝日出版社)、『ピンヒールははかない』(幻冬舎)。プライベートでは結婚・離婚をしており、その後元夫を亡くすという経験をしている。


「何で?」「何で?」だらけの子供時代。
とにかく否定されて怒られてばかりだった。

 アメリカでは、男勝りというか、ガーリーと対局にあるタイプの女性を「トムボーイ」と呼びます。今振り返ると私は完全にトムボーイな子供だったと思います。お嬢様学校と言われるような小中高一貫の女子校に入ったものの、「何で制服を着なくちゃいけないの?」と疑問はすべて口にしちゃうし、授業中もじっとしてられなくてすぐお喋りしちゃうし。とにかくすべてに対して「何で?」「何で?」と感じて自分に折り合いをつけられなくて、怒られてばかりいました。まあ今になれば、怒られる理由も分かるんですけどね(笑)。

 

 これが中学生になるともっと極端になって、「学校は何の役にも立たない」と割り切って。だから夜中に本を読んだりゲームをしたりと活動して、学校ではずーっと寝てました。ただ当時からアメリカ音楽は好きだったこともあって、英語の授業だけはちゃんと聞いていて。その中で、アパルトヘイト撤廃を訴えたマーティン・ルーサー・キング牧師の演説を読んで、「アメリカにはこんなすごいことを言う人がいるんだ、いつか行きたいな」と思ったことは覚えてますね。


本と映画があったから、「問題児ながら
デキるやつ」と自負できていた(笑)。

 とはいえこの時期の私は、「大人は信用ならん!」と、本と映画にばかり接している毎日でした。大人たちに自分を否定されながらも乗り越えられたのは、まわりの同級生たちより本をいっぱい読んでいるし、映画もいっぱい観ているから世界を知っている、という自負があったから。問題児だったけど学校の成績は悪くはなかったので、どこかで自分は「変わっているけどデキるやつ」と思っていたんです(笑)。それがアメリカに行ったら、そんな次元じゃないデキる人が山のようにいて、叩きのめされたんですけど。でもそれが良かった。もっと広い世界を経験したいと、一歩踏み出す決意をくれましたから。


初めてアメリカに行ったとき
とにかく自由で「合っている」と感じた。

 アメリカに渡ったのは、アメリカの大学院に合格したことがきっかけです。ただそれ以前……、大学2年のときに短期留学プログラムに受かって初めてアメリカに滞在したとき、即座に「ここに住みたい!」と思ったんですよね。

 

 その留学中、ホームレスに食事を提供するボランティア「スープキッチン」に参加して。突然叫び出す人とかもいて怖い思いもしたんですけど、とにかく自由な場所だと思ったし、いろんな人がいて熱いし、自分にものすごく合ってると感じたんです。
 その後、大学のゼミの教授が「大学院に留学したら?」と勧めてくれて。実はこの教授は、人生で初めて私を認めてくれた大人なんです。大学に入っても相変わらず授業をマジメに受けていなかった私は、めちゃくちゃ成績が悪くて。その教授のゼミを受講する面接を受けに行ったとき、「成績悪いね」と言われたから、例によってクソ生意気なことを言い返したんですよ。そしたら教授は面白いと思ってくれたのか、「僕のゼミに入ったらちゃんと勉強しなさいよ」と受け入れてくれたんです。
その教授が良い推薦状を書いてくれたおかげで、アメリカの大学院に進学することができました。そのままあわよくば博士に、と思っていたんですが、自分より優秀な人たちを目の当たりにして、アッサリ諦めちゃったんですけど……。


フリーライターという、
「めいっぱい生きられる」仕事へ

 博士号は無理だと気がついた私は、BBCテレビのニューヨーク支局でインターンを始めました。ここで出会ったジュリアエット・ヒンデルという特派員が、私を受け入れてくれた大人のナンバー2です(笑)。取材の仕方とか物事の捉え方とかすべて教えてくれて。今の私の仕事のやり方の6割ぐらいは、彼女から教わったものかもしれません。
彼女は新人の私にいきなりプロジェクトを与えて、「とにかくやってみましょう」と言うんです。これがものすごく良かった。当時の私は電話のかけ方も敬語もろくに知らないくらいでしたけど、取材の喜びは実戦でどんどん吸収していって。夏の終わりには、富士山のゴミ問題の取材で一緒に登山をしたり、忘れられない思い出もできました。
 ただテレビの仕事というのは、わずか数分で何かを伝えなければいけないもの。「もっと掘り下げて伝えたい」と思ったのと、それ以前から周囲に「文章が上手い」と言ってもらえていたのもあって、書く仕事をしたいと思うようになり、新聞社、通信社などで修行をしました。会社を辞めて独立するまでには6年かかりましたけど。
 

私の“もがき”の原点は
出会いと知識を得ること

 

 今振り返って、10代、20代は、ずっと自分を肯定してもらえずすっかり人間嫌いになっていました。その時期を乗り越えられたのは、そういった鍵となる出会いがあったことと、「一つこれだけは負けない」というものがあったからだと思います。
その負けないものというのが、本でした。本当に中高生時代は、時間さえあれば図書館にいて、棚の端から順番に読んでいくというほど、あらゆる本を読んでいましたから。今思うと理解できなかったものもいっぱいあったけど、そのときの私は「知らないことは本がすべて教えてくれる」と思えていたから、自信を失わずに済んだのかもしれません。
 出会いに関しては本当にラッキーだった部分が大きく、秘訣というものはない気もするのですが、ただ「この人は面白そうだな」という人にくっついていったり手伝ったり、そういうことは積極的にしていました。それが良かったんだとは思います。

 44歳になった今も、壁にぶつかったとき、穴を開けるきっかけをくれるのは人や本や映画。いくつになっても、人に出会うとか物を知るというのはすごいことだな、と感じながら生きている毎日です。

 

 

新刊紹介>
『ピンヒールははかない』
佐久間裕美子 著 ¥1200(税抜) 幻冬舎

結婚、離婚を経てシングルとなった著者が、大都会・ニューヨークで、もがきながらも自身のアイデンティティと向き合い「めいっぱい生きる」様が伝わってくるエッセイ集。シングルとして生きることの自由と責任、トランプが大統領に選ばれた日の女性としての考察、40代になった今とこれからへの思いなどを綴っている。同じ女性として、mi-mollet世代として、のめり込まずして読むことはできない1冊!


撮影/目黒智子 取材・文/山本奈緒子 構成/大森葉子(編集部)