こんにちは、ミモレの川端です。

私が最初に部下となった編集長が「“品”というのは、いいか悪いかじゃなくて、あるかないかだ」とよく言っていました。ウケるとわかっていても、「品のない」記事やタイトルはやらない、でも「品が悪い」のはアリ、と。若かった私には意味がわかるようなわからないような……でした。

ポルトガルで訪れたジェロニモス修道院。ポルトガルといえば、世界史で習ったエンリケ王子による大航海時代! 航海の無事を祈って建てられたのだそう。

ヨーロッパに限らず、時の権力者は必ず美しい建築物を残したり、絵や彫刻を作らせたり、美術品を他国から持ち帰ったり、「美術」に富と人を投下しますよねえ。なんでだろう。そして最近の権力者はそうでもないの、なんでかな……などと、今回の旅で思ったりしました。

それで読んだのが『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか』という新書です。短く言うと“「サイエンス重視の意思決定」では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることができない”ということがわかりやすく書いてありました。

「美意識」というのは、アートの知識やキュレーターになれるような審美眼をもつということに限らず、「モラル」や「ロマン」とも言い換えられます。(エンリケ王子にはサイエンスもあったでしょうが、ロマンも勝るほどあったでしょう)。

本書では、美意識を持たないビジネスが危険な事例として、DeNAの「コンプガチャ問題」と「キュレーションメディア問題」が挙げられていました。(同じ手法で儲けた会社がいっぱいあるので、DeNAだけが非難される対象ではありません)。そして「ユーザーの自己責任ですよ」と明記してあったわけで、法的にシロとクロ(=違法)の間のグレーゾーンで荒稼ぎする方程式は、営利企業においてGO!になる可能性が高いことも指摘されています。

私は、法律的なことは詳しくわかりませんが、感覚的に「こういうことして儲けるってなんか嫌だな〜」と感じる人が社内にいなかったのかなと思いました。いや、私なら社長や役員に楯突いて「やめましょう」っていえたかといったらそんなことないんですが。

モラルを欠いたビジョンを「なんとなく嫌だな〜」と思う気持ちが美意識のひとつだとすれば、最初に話した編集長の「品があるか、ないか」の判断が理解できます。美意識が高いか、低いか、ではなくて「美意識があるか、ないか」なんですね。

「汚い手を使って」とは言うけど、「美しい手を使って」とは言わない。将棋とかポーカーにはありそうです。こうしたモザイク画や煉瓦造り、石畳の美しさは「整然」や「効率化」と対局にあるかもしれません。

ミモレも、そして出版業も、新興のIT企業と戦っていかなくてはならない環境にあります。負け惜しみも、強がりもあるけれど、「でも、なんかそういうことで儲けるのって嫌だよね〜(ごにょごにょ……)」という論理的に説明できない感覚をとても大切にしてくれる、ミモレやこの会社が私は好きなのです。

でも時々不安になることがあって、旅に出て圧倒的に美しいものを見たり、美術館や映画館に行ったり、そういう「よくわからないけどすごい」ものに触れる時間が必要だったのかもしれません。
頭のごちゃごちゃを整理できるとても良い本でした。アートに惹かれるけど、自分にどう役立ってるのかわからない、と思っていた人にはぜひオススメです。

ではではまた、違ったジャンルの本も紹介しますね。