それは二葉亭四迷『浮雲』からはじまった

本論に入る前に、近代文学の祖とされる作品を見ておきたい。言文一致体で書かれた初の小説、二葉亭四迷(ふたばていしめい)『浮雲』(1887=明治20年)である。
この小説は、先にあげた青春小説の黄金パターンを最初に提出した作品でもあった。

 

ストーリーをざっと紹介しておくと⋯⋯。
①主人公は地方から上京してきた青年。
主人公の内海文三(うつみぶんぞう)は数えで23歳。某省に勤める官吏である。14歳で父を亡くして静岡から上京し、叔父の下で学業を修めた後に就職、今は叔父宅の二階に下宿している。

②彼は都会的な女性に魅了される。
 文三には仲のいい女の子がいた。同じ家に住む叔父の娘、文三には従妹にあたる18歳のお勢(せい)である。お勢はいいたいことをポンポンいう快活な娘で、そのままいけば結婚にまでたどりつけそうだった。ところが、その文三が役所を免職になってしまう。

③そして彼は何もできずに、結局ふられる。
文三の免職は、お勢との仲にも影響した。途端に叔母は冷たくなり、娘にも文三の部屋には行くなといいだした。加えてライバルが現れる。文三の元同僚本田昇(のぼる)である。出世欲が強く如才ない本田は叔母にも取り入って、お勢はまんざらでもないらしい。怒り心頭の文三は本田に打診された復職の話も断り、自室に引きこもってしまう。

ここで『浮雲』は未完のまま終わる。
近代文学の祖というわりに、意外とチンケな物語である。

とはいえ、チンケな物語だからこそ、『浮雲』は文学史に名を残したのだともいえる。悶々と思い悩む青年の心の中を描くには「話すように書く」ことが必要だった。旧来の仰々しい文語体には限界があったのだ。内海文三のようにうじうじと悩む青年、そして『浮雲』が提出した物語の型は、この後もさまざまな形で変奏されることになる。

本書では、1章2章で近代の青春小説(告白できない男たちの物語)を、3章4章で近代の恋愛小説(死に急ぐ女たちの物語)を取り上げる。
自分には一生関係ないと思っていた古い文学作品が、今日の精神風土とも意外と地続きだったことが、きっとわかってもらえるにちがいない。

 

著者プロフィール
斎藤 美奈子(さいとう・みなこ)

1956年、新潟市に生まれる。成城大学経済学部卒業。文芸評論家。1994年『妊娠小説』でデビュー。2002年、『文章読本さん江』で第一回小林秀雄賞受賞。主な著書に『紅一点論』『本の本』(ともにちくま文庫)、『モダンガール論』(文春文庫)、『学校が教えないほんとうの政治の話』(ちくまプリマ―新書)、『文庫解説ワンダーランド』『日本の同時代小説』(ともに岩波新書)、『中古典のすすめ』(紀伊國屋書店)、『挑発する少女小説』(河出新書)などがある。

『出世と恋愛 近代文学で読む男と女』
斎藤 美奈子 講談社 1056円(税込)

日本の近代文学の主人公である青年たちは、恋を告白できず片思いで終わる。たまに恋が成就しても、ヒロインは難病や事故などで、なぜか死ぬ。日本の男性作家には恋愛、あるいは大人の女性を書く力がないのでは。近代文学で描かれた男女の生き方が我が国ニッポンの精神風土に落としている影について文芸評論家・斎藤美奈子さんが語る。
 


写真:Shutterstock
構成/大槻由実子