「音に敏感な娘は、バイクのエンジン音が苦手で、近づいてくると飛び上がってびくびくしていました。商店街をおんぶして歩いていたら、バイクが音を立てて通り過ぎ、途端に泣き出し、私の背中に激しく嘔吐し、お店の前で吐しゃ物をこぼさないよう、そろりそろりと歩いて帰宅したこともありました。2~3歳のころが一番、激しかったと思います」

 

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「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」という団体があります。この会では、障がい児や医療的ケア児を育てながら、働き続けたい親たちが、ゆるやかにつながり、支え合っています。

障がい児や、医療的ケア児を育てながら働こうとする親の前には、両立を続けるためのハードルが幾重にも立ちはだかっています。子どもや家族の暮らしを守るため、この団体は行政や勤め先への働きかけを続けています。ケアの必要な子を育てている親も働き続けることができるよう、育児・介護支援制度を子の年齢で区切らず、障がいや疾患の状態に応じて配慮してもらえるよう、社会を変えようとしているのです。

この会の会長であり、朝日新聞社に勤めながら、重度の知的障がいを伴う重い自閉症の15歳の娘さんを育てていらっしゃる工藤さほさんへのインタビュー、第4回めです。


第1回はこちら>>>【障がい児を育てながら働く①】親が離職し、経済的にも困窮。ワンオペ育児・介護で親も心身に不調をきたし...という現状を変えるために

第2回はこちら>>>【障がい児を育てながら働く②】「この子、なにか違う?」出産直後から日々募っていく、そこはかとない“不安”

第3回はこちら>>>【障がい児を育てながら働く③】「知的障がいの疑いがある」1歳半で医師に言われた言葉が、ずっと心にひっかかり...

 

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——下のお子さんを出産後、東京のご実家に戻られてすぐに、上のお子さんの発育相談をされたのですね。