「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」という団体をご存じでしょうか?

障がい児や、医療的ケア児を育てながら働こうとする親の前には、両立を続けるためのハードルが幾重にも立ちはだかっています。毎週、毎日のようにある通院・登校付き添い、夜間ケア、そして学校を卒業することで一区切りとはならない“終わりのない”育児……。

健常児の子育てとは違うさまざまな困難や悩みに直面し、いずれかの段階で両親のいずれか(多くの場合、母親)が就労をあきらめるということが多いのです。その結果、経済的に困窮し、家族が心身を崩すことも少なくありません。働ける時期に働けないことによって起きる親の老後の低年金問題も起きています。子の障がいの受容やケアの考え方の違いにより、離婚リスクも高く、シングルで育てている人もいます。

子どもや家族の暮らしを守るために「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」は、行政や勤め先に働きかけ、ケアの必要な子を育てている親も働き続けることができるよう、育児・介護支援制度を子の年齢で区切らず、障がいや疾患の状態に応じて配慮してもらえるよう、社会を変えようとしています。

長女2歳、次女0歳のころ。家族でぶどう狩りへ。(工藤さん提供)

この会の会長であり、朝日新聞社に勤めながら、重度の知的障がいを伴う重い自閉症の15歳の娘さんを育てていらっしゃる工藤さほさんにお話をお伺いしました。

 

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はじめまして。工藤と申します。「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」の会長を務めています。この会は、「障がい児」や「医療的ケア児」を育てながら働いている、そして働きたいと思っている親たちの会です。肢体不自由や知的障がいのほか、後天的に医療的ケア児になったお子さんもいれば、風邪をひくと入院という疾患のあるお子さん、知的な遅れはないけれど自閉傾向が強くて不登校気味というお子さんなど、いろいろなタイプの子を育てている親たち、約150人が参加しています。

親の職業は、服飾、製造、情報通信、医療、教育、メディア、官公庁とさまざま。沖縄から北海道、果ては海外までと、職域も地域も越えて、ゆるやかにつながって、情報交換のほか、必要に応じて職場などにも両立できるよう配慮を求める活動を行っています。

——工藤さんご自身は、どのように復職されたのでしょうか?

2007年に長女を出産し、2009年の次女の出産、育休を経て2012年春に時短勤務で復職しました。
当時、長女は4歳。半年待ちでようやく通えるようになった療育施設でしたが、預けられるのは午前9時30分から午後2時まで。そのため、午前8時30分に次女を保育園に連れていき一旦帰宅。それから長女を車で20分の療育施設に送迎したのちに出勤。帰りは長女や次女のお迎えはシッターさんや親戚に頼み、私は17時頃に会社を出て帰宅。長女が戻ってくる時間には必ず家にいるようにしていました。

水族館が大好きな長女

——出産前は新聞記者として、日本全国を飛び回り、海外出張などもされていたと伺いましたが……。

長女は重い睡眠障害があり、私が夜自宅にいないと寝ないため、今も泊まりがけの出張はできません。そうした事情から、復職後は時短勤務や、夜勤・残業などの勤務配慮を申請しやすい部署に異動しました。
どうにか復職を果たしましたが、当時は全く気持ちは晴れませんでした。

——それはなぜですか?

その頃、弊社で時短勤務が利用できるのは、子どもが小学3年生まででした。でも、学年が上がったからといって、知的水準が2歳未満の娘が1人で登下校できるようになるわけではありません。時短勤務を継続できなければ、仕事は続けられない。夕方職場を退室するたびに「退職せざるを得ない日」が近づいていると思い、生きた心地がしなかったのです。

それに、障がい児の育児は思わぬところで思わぬ出費がかさみます。私たちのような親は、老後の資金だけでなく、自分たちの死後も子どもの暮らしを守るために必要なお金をいかに確保するかが大きな課題です。子どものために何としてでも働き続けなければ、という思いがありましたし、いまでもずっと思い続けています。

 

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「私たちのような家族が働きやすい環境は、どんな人にとっても暮らしやすいはず」と工藤さんは語ります。「風通しのよい多様性を認め合う社会になりますように。そんな思いを込めて、これまでどのように娘を育ててきたか、そして現在はどのように過ごしているか。私と娘の日々をお伝えしていきたいと思っています」

連載2回目では、出産をしてから日々募っていく不安、そして「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」発足のきっかけについてお伝えしていきます。


第2回「【障がい児を育てながら働く②】「この子、なにか違う?」出産直後から日々募っていく、そこはかとない“不安”」>>
 

著者プロフィール
工藤さほ

1972年12月生まれ。上智大学文学部英文科卒。1995年朝日新聞社に入社。前橋、福島支局をへて、東京本社学芸部、名古屋本社学芸部、東京本社文化部で家庭面やファッション面を担当。2012年育休明けからお客様オフィス、2019年から編集局フォトアーカイブ編集部。こども家庭審議会成育医療等分科会委員。
東京都出身。


★「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」は、朝日新聞厚生文化事業団の共催で2023年7月にオンラインによる連続セミナー「障がい児・医療的ケア児の親と就労」の第1回「障がい児を育てながら働く 綱渡りの毎日」を開催しました。

★第2回セミナーは10月21日(土)午前10時~、オンラインにて開催します。「取り残される障がい児・医療的ケア児の親たち」をテーマに、障がい者の家族の暮らしを研究している佛教大学教授の田中智子さん、厚生労働省、こども家庭庁の担当者を招きお話を伺います。(セミナーは10月18日(水)18時申込〆切)
詳細・申し込みはこちらから>>
★「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」参加ご希望の方はこちらからお申し込みください。

 

構成・文/工藤さほ
編集/立原由華里
 

 
 
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