類稀なスタイリング力を育てたのは「フリマ通い」と「古着販売経験」だった

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スタイリスト連載で毎週火曜日を担当するNIMUさん。写真に映るおおらかな笑顔は、明るくエネルギッシュなNIMUさんのキャラクターそのもの。モデルや女優からの指名も多く、誰もが認めるセンスの持ち主・NIMUさんにおしゃれのルーツについてお話を伺ってきました。

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NIMU 1980年、東京生まれ。2008年10月に独立後、女性誌を中心に、広告・カタログなどのスタイリングを幅広く手がける。感度の高いスタイリングでモデルや女優などの指名も多い。

 

自分がこれ!と思って買った
古着をハイブランドのように
大事に着ていました


おしゃれにまつわる一番古い記憶は幼少期。三人兄弟の末っ子だった私は、おもちゃをたくさん買え与えてもらえることはなくて。遊びといえば家にあるタオルをヘアバンドにしてみたり、洗濯バサミでとめてドレスを作ってみたり、自ら遊び道具を創作していました。モノがないからこそ、どうやったらいいかを子供ながらに考えるわけです。母はもともと美術学校に行きたかったくらい、何かを作ることがすごく好きな人でした。ミシンをかけたり、編み物の教室を開いていたり、時には漫画のセル画を塗っていたり…。今こうしてファッションの世界にいるのは、母から受け継いだものもあると思います。

 


中学生の頃、当時は「渋カジ」ブームで7つ年上の姉が持っていたヴィンテージのお下がりを着ていました。私にしてみれば、ただのお古ですけど周りからはすっごく目をつけられていたみたいで(笑)。

そのうち自分でも古着を買いに、フリマに出かけるようになりました。お小遣いの500円で何を買うか、自分で商品を見極めて、自ら値段交渉をする。まさにバイイングしているような感覚でしたが、宝探しみたいですごく楽しかったですね。そして自分がこれ!と思って買ったもの、値段はたった50円くらいのTシャツでもハイブランドのように大切にして着ていました。振り返ってみれば、フリマに通っていた経験があるから、モノの価値を考えるようになったし、モノを大切にできるようになったと思います。

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高校の頃には漠然と「洋服に関わる仕事がしたい」と思っていましたが、当時はスタイリストという仕事を知らず。もともと服を作ることに興味があったこともあって、パタンナーになろうと専門学校に進学しました。

でも課題の作品を作るには材料費がかかるんですが、お金をかけないといい作品ができない、評価をされないと気づいて。今あるものを組み合わせたっていいものはできるのにーーいつしかそんな思いが強くなって退学したんです。専門学校で「どんなにいいものを作っても現場がすべてだから」と教えられていたこともあって、次は販売員になろうと決意しました。

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高校時代から始めたスクラップブックは、アシスタント時代までずっと続けていたそう。「高校の時はバイト代を全部つぎ込こんで雑誌を買ってましたね。好きなページやスタイリングを切り取って貼ってイメージを膨らませるのが楽しくて。古着屋に就職してからは、バイヤーに“こんなものを集めてきてほしい”というプレゼン用の資料としても活用していました」
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