『筑紫哲也のNews23』(TBS)、『ニュースステーション』(テレビ朝日)、『本当は怖いたけしの家庭の医学』など、誰もが知る人気番組で活躍してきたアナウンサーの渡辺真理さん。華やかでハードな仕事に邁進する一方で、実は私生活では20年に渡って介護生活を送られていました。「介護=過酷と、すべて一括りにイメージされてしまうことには抵抗も感じますが」という思いから、渡辺さん自身の介護体験、そして介護を通して得たことなど詳細に話してくれました。そこから、“親の老い”との向き合い方も見えてきますので、是非一読ください!

渡辺真理 1967年生まれ。神奈川県出身。横浜雙葉学園、国際基督教大学卒業。1990年にアナウンサーとしてTBSに入社。『モーニングEye』『筑紫哲也のNews23』などを担当する。1998年にフリーに転身、2004年まで『ニュースステーション』(テレビ朝日)に出演。その後は『たけしの本当は怖い家庭の医学』(朝日放送)、『熱血!平成教育学院』(フジテレビ)などに出演、現在は「そこまで言って委員会NP」(読売テレビ)、「知られざるガリバー」(テレビ東京)などに出演中。



フリー転身とともに介護生活がスタート


TBSの人気アナウンサーだった渡辺真理さんがフリーに転身したのは1998年。その後、久米宏さんがキャスターを務める高視聴率報道番組『ニュースステーション』(テレビ朝日)に出演。アナウンサーとして着実にステップを上られている印象がありましたが、渡辺さん自身は「もともと、ステップアップを目指そうといった大きな志があったわけではなくて(笑)」と振り返ります。

 

「アナウンサーになったのは、大学2年生の時に就職課にきていたNHKの応募要項がそもそものきっかけです。大学は三鷹だったので渋谷は通学で通るものの、ほとんど降りたことがなく(笑)、応募年齢にも達してなかったから先輩について行くような観光気分で受けたところ、アルバイトというか見習いとして採用していただいたんです。BS放送の立ち上げ時期とも重なって初めて画面に出たりと、大学卒業までたくさんの学ぶ機会をいただきました。NHKで『マスコミは受けて受かるものでもないけど、就職試験は早いから、そろそろ就職課に行ってみた方がいいかも』と急かされて就職課に行ったら、TBSの講習会の案内が来ていて受けたといういきさつです。だから就職活動を始めた時はパンプスも持っていなかった(笑)。TBSでは、担当したどの番組も刺激的で楽しく、本当に良くしていただきました。8年目を迎えた頃に、女子アナブームみたいな時期があり、アイドル然としたテレカやカレンダーなど、なんだか柄じゃないなぁ…と腰が引ける思いもあって、局を辞す選択をしました」

結果的にはこの選択が、その後の介護生活を大きく支えてくれることになった、と語ります。

「アナウンサーという仕事自体を勤めることができるのか迷って退局したので、久米宏さんから『ニュースステーション』にとお声がけいただいたことは有難く、今でも感謝しきれない思いでいます。同時に、結果としてフリーになったその年の暮れに父が小脳の脳内出血で倒れたので、番組の勤務時間以外は私が自由に動けることが幸運でした。幸い、夜通しの手術で父は一命をとりとめたのですが、入院生活は1年半に及びました。母はそれまで父と離れたことがなかったので、当然病院に泊まり込みたい、と。ひとり娘の私としては、番組放送後の反省会を終えてから都内のマンションで睡眠をとって、午前中に両親の待つ病院に向かい、途中で買ってきたお弁当を父のベッドの横で母と広げ、夕方出社する前に自宅に寄って母や父の洗濯などを済ませるというサイクルでした。今度は自分が父と母を支えたくて夢中でしたが、会社員のままだったら自分で運転しての通勤も難しかったでしょうし、毎日病院に通うことは到底不可能だったので、計画なくフリーという働き方を選択したことが本当にラッキーでした。ただ、こうお話すると『大変でしたね』と言っていただいたりもするのですが、とにかく周囲に支えられました。泊まり込んでいた母が楽観的なタイプなので『病室から海が見えるの』なんて小さな楽しみを見つけてくれたり、何より番組の方々があえて言葉にしなくても理解してくださっていたことが有難かったです」

 
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