ある程度年齢がいくと、自分の価値観や癖、ポリシーを変えることは本当に難しい。でも新しい価値観や、考え方を知り、それが誰かの役に立つということを自分が納得できたら「新しい物差し」が心地よかったりします。そんな、いつでも「社会に貢献できる物差し」を、今回はお伝えしようと思います。
では、まず質問です。
デパートやショッピングモール、スーパー。広い駐車場であなたはどこに車を停めたいですか?
1、 建物の入口に近いところ
2、 建物の入口が遠いところ
私は以前、車を止めるなら、まず入り口の場所を確かめるために1周をしてでも、できるだけ出入り口に近いところに駐車するのが当たり前の習慣でした。空いていたらラッキー! だってそのほうが、歩かなくていいですし、時間の効率がいい、荷物が多くても雨が降っても車が近いと楽チン。つまり便利なのです。それは誰もが考えることですよね。そこでちょっと物差しを変えてみると、違う側面が見えてきます。
車をちょっと遠いところに止めておく余裕
昔は近くに止めることが美学であったのに、最近ではちょっと遠いところに停められるようになりました。疲れていたとしても、ある程度元気であれば、私は大丈夫。それよりも本当に必要な人へ場所を譲りたいと思います。そんな風にこころと思考に余裕を持てるようになったようです。
お年寄りが遠くに停めたら荷物を持って大変かもしれない
お母さんが赤ちゃんを抱っこしていたら、近い方が便利なはず
こんな気持ちです。たとえ私が場所を譲っても、そこに止めるのは必ずしもそれを必要としている方ではないかもしれません。目の前で次の人が意気揚々とベスポジに止めるかもしれません。前なら「ちょっとちょっと」と思ったのですが、いまはそれでいい、と思えます。私が譲りたいと思っただけなので、したいことをしただけ、なのです。
必要な方へ届くような仕組みづくりを目指して
日本人は、根本が優しいお人柄なのに、他人に対して無関心で親切下手なところがありますよね。ベビーカーを押したお母さんがエレベーターを待っているのに、我先に乗り込む人が多く、結局お母さんは肩身が狭く、次の1台を待つはめになってしまう。海外なら誰もがベビーカーを優先して乗せてあげますし、健常者は階段かエスカレーターを使いエレベーターを本当に必要な方へ譲ります。
こんな社会の歪みは、みんなが疲れているからかな、と思います。日々疲れていて、少しでも楽をしたいとみんなが思っている。仕事が立て込んでいたり、眠れていなかったり、お休みにストレスを発散しきれていなかったり、理由はいろいろ。何か「悶々と溜まっている」人が多いのではないでしょうか? ひとのこころを満たす、チャージが必要です。私たち人間の一番のこころのお薬は「自分のアクションが誰かの何かの役に立つこと、それを人から感謝されること」 です。
あえて「車を遠くに止めること」は参加型社会をつくるアクションのひとつです。結局は自分のこころの栄養になっていく。それを理解した上で「新しい物差し」を持って世の中を見回してみのはいかがですか?
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