あけましておめでとうございます!年末年始はいかがお過ごしでしたか?
私は実家でゴロゴロ、温泉でゴロゴロ、完全なる寝正月でした。テレビをつければ「平成最後の!」というフレーズが連呼されていて。あぁ平成って終わるんだぁという実感がふつふつ沸いてきたりも。

そこで今回は年齢の話です。私は1978年生まれの40歳なんですが(ミモレ読者さんは同世代の方が多そうですね?平成が始まったときは私たち10歳だったわけですね~)、実はこの40という年齢がなかなか受け入れられなかったんですよね……。受け入れるのに半年以上かかりました。

長寿時代の「老い」との向き合い方とは?_img0
 

40歳になったとたん、自分が急に年を取った気がしてしまって……。
20歳になったときも30歳になったときも格別の想いはなかったのですが、
40歳はどよんと心に重くのしかかってきました。


もちろん頭ではわかっているんです。年齢は記号にすぎないって。
でも心がついていかない。人前で年齢の話をするのを恥ずかしく感じている自分に気づいて、自分でも驚きました。

そんなとき友人の縁で、ある女性脚本家の方とご一緒する機会がありました。彼女は女性の人生をテーマにした作品で知られる有名脚本家。還暦を迎えようとする方なのですが、艶っぽくて生き生きしていらして、本当に素敵な方でした。

私は思い切って自分の年齢に関する不安を口にしてみました。
こんな不安を持っているなんて恥ずかしいなとは思ったのですが……

「田中さん、樹木希林さんや黒柳徹子さんを見て、誰も『おばあさん』だとは思わないでしょう?樹木さんは樹木さんだし、黒柳さんは黒柳さん。年を取るって、得体のしれない何者かになるわけでは決してなくて。あなたはあなたのまま。だから何も怖がったりしなくていいのよ」

こう言ってくれたんですよね。彼女のキラキラしたたたずまいともあわさって、とてもとても勇気づけられた言葉でした。

同時期にこれまた別の友人のすすめで、孔子の言葉に触れる機会がありました。
孔子は紀元前の思想家で「子曰く(中略)四十にして惑わず。五十にして天命を知る」という文章は、聞いたことがあるという人も多いのではないでしょうか。
この文章はこう続きます。

「六十にして耳順う(みみしたがう)。七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず」。

長寿時代の「老い」との向き合い方とは?_img1
 

加地伸行さんの『論語のこころ』(読みやすくておすすめです!)から解説を抜粋すると、これは74歳で亡くなった孔子の最晩年の言葉で、「40歳のとき自信が揺るがずもう惑うことがなくなった(不惑)、50歳を迎えたときに天が私に与えた使命を自覚し奮闘することとなった(知命)、60歳ともなると他人のことばを聞くとその細かい気持ちまで分かるようになった(耳順)、そして70歳のこの歳、自分のこころの求めるままに行動をしても、規定・規範からはずれるというようなことがなくなった(従心)」という意味だそうです。

孔子というと21世紀を生きる私たちでも知っている有名人ですが、失脚したり、弟子たちを連れて諸国を放浪したりと苦労も多かったようです。その最後にこんな心境に達していたというのは人生100年時代を生きる私たちにも力になる言葉ですよね。

寿命が圧倒的に長くなる現代を生きる私たちは「老い」と向き合って自分たちのキャリアを創っていかなければなりません。年齢を重ねつつ勇気とチャレンジを忘れない。そんな一年にしたいと思う2019年の年明けです。