「演劇」を活用し、さまざまなコミュニケーションで教育活動を行ってきた劇作家で演出家の平田オリザさん。大学入試改革にも携わっている平田さんは、演劇を学ぶ初の国公立大として、2021年度に開校する予定の国際観光芸術専門職大学(仮称)の学長就任も決まっています。連載「22世紀を見る君たちへ」では、これまで平田さんが「教育」について考え、まとめたものをこれから約一年にわたってお届けします。
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前回、これからの大学入試は(うまく進めば)、1、2年の受験準備では太刀打ちできない、いわゆる「地頭」を問うような試験に変わっていくだろうと書いた。

こういった能力のことを社会学の世界では「身体的文化資本」と呼ぶ。

「身体的文化資本」およびその格差の問題については、内田樹氏が著作のなかで再三触れられているし、私もそれを引用する形で幾度も取り上げてきた。しかし、この身体的文化資本の格差の問題が、実はこの連載、すなわち2020年度の大学入試改革に関連する諸問題の最も重要な核となる部分なので、前著との重複を恐れずに、改めて詳しく触れておきたいと思う。

この「文化資本」という概念はフランスの社会学者ピエール・ブルデューによって提唱された。まず、「文化資本」は細かく、三つの形態に分類される。
 

一、「客体化された形態の文化資本」(蔵書、絵画や骨董品のコレクションなどの客体化した形で存在する文化的資産)

二、「制度化された形態の文化資本」(学歴、資格、免許等、制度が保証した形態の文化資本)

三、「身体化された形態の文化資本」(礼儀作法、慣習、言語遣い、センス、美的性向など)


一は、お金で買うこともできる。もちろん何を買うかのセンスは問われるし、親から譲られるものが多く含まれる点では、ここでも格差は歴然と存在するが、財力などによってのキャッチアップも可能である。

二は、成人になってからでも、本人の努力によって獲得可能な部分が多い。この点も、そもそものスタートラインが違うという経済格差の問題はあるが、後述する身体的文化資本に比べれば、まだ努力のしがいのある領域ということになっている。

問題は三の身体的文化資本である。

この身体的文化資本を「センス」と言ってしまうと身も蓋もないが、「様々な人々とうまくやっていく力」とでも言い換えれば、それが2020年度の大学入試改革以後に求められる能力に、イメージとして近づくだろうか。これまで述べてきた「主体性・多様性・協働性」はいずれも、この身体的文化資本に属する。これを、これまで使われてきた言葉で言うなら、広い意味での「教養=リベラルアーツ」と呼んでもいい。

ブルデューが挙げたのは、美的感覚や感性を含むセンスやマナー、味覚あるいはコミュニケーション能力などだが、私は最近、これに加えて、人種や民族、あるいはジェンダーや性的少数者に対しての偏見がないかどうかも含めて説明している。

 

たとえば少し極端な事例になるが、男尊女卑傾向の強い家庭に育って、中高一貫の男子校に進学した一人っ子の男子を考えてみよう。彼が、これまで紹介してきたようなグループワーク型の大学入試を受けることになったと想像してみて欲しい。18歳ならば、相対的に女子の方が弁が立つ。女の子が議論を先導し始めたところで、「女は黙ってろ!」と一言でも言ってしまったら、彼はその場で不合格となるだろう。

いままでは、どの大学にもそんな合否の判定基準はなかった。ところが、これからは、こういったことが、きわめてまっとうな合否判定の基準になるのだ。

もう一度、大学入試改革の筋道を振り返ってみよう。

文部科学省は、各大学に、すべての授業をできるだけアクティブラーニング化するように指導している。少なくとも表面上は、大教室での一方通行の講義は姿を消しつつあり、ディスカッション型の授業が増えている。

もう一点、文部科学省は大学側に、新制度入試にあたっては、「潜在的学習能力」すなわち大学に入ってからの学びの伸びしろや授業についていく力を測るような試験をしろと通達している。

ということは、三段論法でいけば、このアクティブラーニングに参加できない、対等な立場での議論のできない生徒は、どれほど従来型の学力が高くても門前でお断りするしかないということなのだ。

さて、こういった身体的文化資本は、おおよそ20歳くらいまでに決定されると言われている。分かりやすい例は「味覚」だろう。味覚は幼児期から12歳くらいまでに形成されるという説もある。幼少期にファストフードなど刺激の強い、濃い味付けのものばかり食べ慣れていると、舌の味蕾がつぶれて細かい味の見分けができなくなるというのだ。12歳というのが本当かどうかは議論の余地もあるだろうが、それが早期に決定づけられそうなことは想像に難くない。音感やリズム感、色彩感覚なども、比較的、早い段階で形成される能力だろう。

言語感覚、論理性などは、もう少し長期で形成されるのだろうが、小さい頃からの読書体験や言語環境が、子どもの成長に大きな影響を与えることは、最近、とみに知られるようになった。

また逆に、先に掲げたジェンダーについての偏見など、ある一定以上の年齢になると「ちょっと、この人は治らないな」と感じることもあるだろう(もちろん、そういった人々も理性によって偏見を表に出さないように振る舞ってもらわなければならないのだが)。

いずれにしてもこれらの能力は、人生の非常に早い段階で、しかも、ほぼ自然に「身についていってしまう」たぐいのものなのだ。

 
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