「老化」は「劣化」に、「年をとる」は「年を重ねる」に
 

 2010年には、雑誌「美STORY(現・美ST)」が主催の「国民的美魔女コンテスト」なるものも開催されました。中年になっても老けない「魔女」達に美を競わせるこの催しは大いに話題となり、下の世代からは、「さすがバブル世代」という揶揄混じりの声が聞こえたもの。ついには、「美STORY」誌上で美魔女達がヌードを披露するところまで行き着いたのです。

 その頃、とある知り合いが美魔女の一人として雑誌に載っているのを見たことがあります。その人は、確かにとても綺麗な方でした。若い頃からモテ続け、素敵な夫や子供にも恵まれたのですが、その上でさらに「美魔女」という称号まで得ようとしている彼女を見た時は、人間の底知れぬ欲求に触れたようで、そこはかとない恐怖を覚えたものでしたっけ……。

 私のような一般中年の多くは、美とも魔とも無縁な日々を送ってはいたのです。とはいえ、昔の女性達のように、安易におばさんになってはいけないという空気が横溢しているのは、事実でした。

 

 同窓会に行っても、皆とても綺麗。そうこうするうちに盛んになってきたSNSでは、美魔女として雑誌に載るほどの度胸はないけれど自分の美は認めて欲しいと思っている中年女性達が、自分の写真をアップして、
「劣化してないねー」
 といったコメントを得るように。

 この頃からか、「老化」は「劣化」に、「年をとる」は「年を重ねる」と言い換えられるようになってきました。「劣化」は、「『老化』じゃあ直接的すぎるからちょっと笑いのエッセンスをまぶして……」と言い換えてみたら、「老化」よりもさらに刺激的な言い方になってしまった、という言葉。しかし「劣化」は、本当に劣化している人には使用されません。美しさを保つ人のことを、「皆は劣化しているのにあなたは劣化してない」と寿ぐための用語と言っていいでしょう。

 「年を重ねる」もまた、「年をとる」っていうのはちょっとニュアンスが……という配慮から使われるようになった言葉で、これも、「年をとるのは良くないこと」という認識があるからこその言い換えです。年を「重ねる」などと、めでたいっぽい言葉で誤魔化すことによって、加齢という事実から目を逸らしているのではないかと私は思うのですが、そうこうしているうちに「年をとる」は、差別用語的な存在になってしまいました。

 このような言い換えの手法を見ても、日本では「年をとった人」=「可哀想」という感覚が強いことを理解するわけで、そのせいもあって我々世代は、若見せに必死になるのでしょう。若く見せないと、「可哀想な人」になってしまう。若いうちに享受していた自分達の既得権益が失われてしまう、と。

 

__________________________________

 若見せに血道をあげると、「イタく見える」という新たなトラップが。イタいと無理しないの狭間で、いったい私たちはいつになったら安心して老けられるのか……考察は後編へ続きます。
後編は2月26日公開予定です。

写真/shutterstock
 
  • 1
  • 2