日本で仕事と育児の両立に苦戦する共働き家庭の様子を発信していると、度々「こういう人たちは住み込みでメイドが雇えるシンガポールや香港で働けばいいのに」「日本も住み込みメイドを導入すればいい」という反応が返ってくることがありました。
そのために、というわけではなかったものの、たまたまシンガポールに引っ越すことになった我が家。ここで出会う英国や豪州など出身の方々の中には、確かに「子どもの教育環境もいいし、ヘルパーも雇えるし」ということで移住をしてきている人も少なくありません。
シンガポール政府は雇用主の自宅への住み込みを前提に、フィリピンやインドネシアからの外国人家事労働者(ヘルパー)を政策的に受け入れています。ヘルパーの出身国や経験により給与は異なりますが、月550~750シンガポールドル(4~6万円)くらいが相場。
安いと思われるかもしれませんが、食費や家賃、シャンプーなどの生活費、半年に一回義務付けられている健康診断などを含む医療費、雇用契約終了時
の帰国飛行機代などもすべて雇用主が持つので、意外とメイドさんの自由になるお金としては「私の可処分所得より多い!」という人もいるのではないでしょうか。
ただし、職場が家庭という外から見えにくい場であること、雇用主が半ば身元引受人のような形になっていて構造としてはメイド側から声をあげにくい(実際には色々なネットワークや理由を使って辞めていく人はいくらでもいますが)ということがあり、たまにシンガポールの新聞では「メイドに満足に食事を与えなかった」「メイドのことを叩いた」という罪で雇用主が実名、大きな顔出し写真付きで報じられていることもあります。
また、先進国のホワイトカラー層がこれまで「女性の役割」とされていた家事を別の国の女性、つまりメイドさんたちに任せることで解決することの是非は、結局外国に出稼ぎにいく家事労働者が自分たちの子どもを母国の親戚などもっと貧しい別の女性に家事育児を任せる「ケアのチェーン」「ケアクライシス」を引き起こしているとして、女性学などの研究者たちによっても指摘されてきました。(参考文献:Barbara Ehrencreich,Arilie Russell Hochschild, 2002 “Global Woman”)。
得をしているのは先進国女性、あるいは彼女らを雇うグローバル企業であり、発展途上国の女性に特定の役割が押し付けられていることに変わりはない…というわけです。
出稼ぎで家事労働者をしている母親側からも自分の子どものケアができずに別の家庭の子どもを見ることへのジレンマや、母親にずいぶん長く会うことができていない子どもたちからの寂しさを訴える声、母の不在による問題行動や学業不振についての懸念の声などを描いた論文や書籍も多くあります。
ただ、こうした研究者たちが、これらを受けて「母子はやはり一緒にいるべき!」と結論づけているわけではありません。別のある研究では、「父親が出稼ぎにいく」ことはあまり問題にならないのに「母親が出稼ぎにいく」ことばかりに批判が集まることへの疑問を投げかけています。(参考文献:前述“Global Woman”の中のRhacel Salazar Parrenas`The Care Crisis in the Philipines; Chidren and Transnational Families in the New Economy’)
つまり、確かに子どもたちは適切なケアを受けられるべきである。でもそれは、実の母である必要があるのか。父親の役割をもう少し見直してもいいのではないか。学校などのサポート体制も充実する必要がある。そして、出稼ぎ労働者たちは男女関わらず、度々家族に会うために帰国する期間・費用を認められるべきというのがこの論文の結論です。「我が子を置いて出稼ぎに来ないといけないなんて可哀想」というのであれば、日本の「単身赴任の父親(母親)」も同じですね。
いずれにせよ彼女たちは母国で働くよりも稼げるからという理由で前向きに家事労働で出稼ぎをしに来ているという点も見逃せないと思います。今後送り出し国側の経済が上向きになれば、出稼ぎ家事労働者の供給は減ることが予想され、海外からの家事労働者がいないと成り立たないという国は処遇や供給元を見直す必要がでてくるかもしれません。
雇う側と働く側のポリティクスにより様々に「メイド言説」も広がりやすく、課題がないとは言えない領域。日本で住み込みメイドが広がる素地は今のところありませんが、こうした家事労働外注先進国では、メイドを雇うことそのものの是非の議論よりは、どうしたら良好な関係が築きやすくなるのか、受け入れ国として選んでもらうには…など、構造を設計するための議論が必要になっていくのかもしれません。
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