シンガポールで1年間、住み込みメイドさんに来てもらっていました。メイド関係の研究を嫌になるほど読んでいた私は、「できるだけ対等に公平に相手に接して、人権に最大限尊重をした雇用関係を持ちたい」と思っていました。

 

我が家の場合、当初ヘルパー関係費用は政府に支払う税金も含めて月8万円。彼女の手取り6万円は、時給で換算すれば格安に思えました。稼働時間は休憩をはさんで、朝6時半ごろから夜20時まで。午前中は、朝ご飯の準備、家族を送り出し、私が在宅で働いている間に皿洗いや掃除、買い物に行ってもらいます。そのあとは昼ご飯をとってもらい、子どもの送り迎えが必要な時は15時にそれを手伝ってもらい、夕飯の準備などをして、19時ごろまで家事をしてもらうという形でした。

当初メイドさん側も張り切っていたのか言わなくてもなんでもやってくれ、こんなにいいひとはいないと思っていました。が、その後慣れてくると、彼女の「自由時間」がどんどん拡大していきます。このとき、意外と私自身が「時間で働く」観念に縛られていることに気が付きました。

つまり、彼女が仕事に慣れて効率化しているから稼働時間が減っている面もあるのに、せっかくフルタイムで雇用しているのだからと、こちらは余計な仕事を作り出してでも、頼みたい気分になってしまうのです。

ちなみにシンガポールでは住み込みのメイドさんが暇な時間に他の家庭に行って「バイト」をすることが違法です。そこで「子どもが学校や保育園に行っている間にメイドさんがあまりに暇を持て余しているので、犬を飼うことにした」という家庭があってびっくりしたのですが、『国境を越えるアジアの家事労働者』(上野加代子)という本では雇用主がメイドを雇ったゆえにメイドにさせる仕事を作り出す現象が描かれており、割とよくあることらしいです。

我が家の場合は、「それはちょっと理不尽ではないか、私は一体何に対してお金を払っているのか。部屋がきれいで、子どもが安全に育っていて、栄養のあるご飯が食べられ、私が仕事ができていれば、それに対してお金を払うということでいいではないか」と自分に言い聞かせようとしました。彼女自身の生活を尊重したいという思いで自由時間についての取り決めもあまりしていなかったのです。

実際は、 彼女の稼働時間が短くなっていった理由は効率化だけではなく、手抜きもでてきていたと思いますし、こちらも子どもを任せないといけない時間が減っていったことなどで、結局フルタイムのメイドさんを雇っている意味はあまりないと思え、お別れをすることにしました。

 

自分が在宅勤務をしたり子どもの世話をしている横で、メイドさんが暇そうにしていると、どうしても気になってしまう…。 シンガポーリアンの知人の中にはヘルパーとうまくやっていく秘訣について「とにかく見ない。目をつむる」と語る人が少なくありません。フルタイムの会社員などで雇用主は日中不在、細かいことは見ない…というケースのほうが向いていそうです。

人を雇ってはじめて、「何に対してお金を払うのか」「勤務時間とは何か」ということを考えさせられました。成果を求めるのならそれを実行してもらって評価するための枠組みや、モチベーションを維持してもらうためのマネジメントが必要だったと反省もあります。

ついつい「いる時間は働いてほしい」と思いがちな日本人は、こうした家事の外注については3時間あたりいくらという切り売りサービスのほうが使いやすいかもしれません。また、今後日本で「時間より成果」への働き方改革を進めていくうえでは時間観念から脱さないといけない面もあり、それにはやはり管理職側のマジメント力が問われてくるなとも感じました。