羽生結弦のスケーティングスキルを堪能できる『ノッテ・ステラータ』
羽生結弦のエキシビションプログラム『ノッテ・ステラータ』の印象を私なりの言葉で言えば……。
「バレエ『瀕死の白鳥』をリスペクトしつつ、羽生のスケーティングスキルをじっくり見せることに主眼を置いている」
という感じでしょうか。
バレエ『瀕死の白鳥』は、ダンサーが片足のつま先で立っている場面は、ごくごくわずか。両足を小刻みに震わせるような動き(パ・ド・ブーレ)をメインに、ステージを滑るように進んでいきます。観客に、ステージが湖面であるかのような錯覚を抱かせます。
その「基本」にのっとっているのでしょうか、羽生のこのプログラムは、あえて両足滑走にしている部分が非常に多い。また、片足で滑っているときも、フリーレッグを高く上げている箇所はほとんどありません。
競技プログラムでは、「右足/左足」「フォア/バック」「インサイド/アウトサイド」の8種類のエッジを複雑に組み合わせてプログラムを組んでくる羽生結弦ですが、この『ノッテ・ステラータ』では、その能力を見せること以上に、「湖面を滑っていく白鳥の姿を、スケーティングで見せるには、どうすればいいか」ということに向き合っているように感じられます。
結果、「非常になめらかで、ポジションの保持時間が長い、ムーヴス・イン・ザ・フィールドを多種多様に取り入れる」、そして「組み合わせの複雑さではなく、単体のエッジワークのクオリティ、なめらかさで魅せる」という選択をしているのでは、と。
ここからは、要素の実施順に「ツボ」を書いていきます。
●音楽が始まって20秒後から始まる、左足のフォアアウトサイドエッジを使った大きなカーブ。この大きなカーブに入る直前に、インサイドエッジからアウトサイドエッジに非常にシャープにチェンジエッジしている。チェンジエッジしたあとにむしろスピードが上がること、そしてチェンジエッジしたあとの距離の出方、どちらも素晴らしい。
●ツイズルの回転の速さとスムーズさ、そして距離の出方。
●腕の振りの勢いではなく、筋力のみで見事な背中のアーチを作る、レイバックイナバウアーの完成度。
●両足ともバックインサイドにして、上体を斜め後ろにひねった状態にしてカーブを描くムーヴのバリエーション。私はこのムーヴが大好物でして、ミシェル・クワンの1997年世界選手権のフリー(Michelle Kwan 1997 Worlds FS)は、このムーヴが見たくてリピートしているくらいです(トリプルフリップの着氷後です)。
●それぞれに美しいポジションでおこなうコンビネーションスピンをはさんで、非常に距離の長いハイドロブレーディング。
●そしてそこから、ほとんど間髪入れずに、「左足をフォアエッジにしたインサイドのイーグル」→「ターンをはさんで、右足をフォアエッジにしたインサイドのイーグル」→「またターンをはさんで、もう一度左足をフォアエッジにしたインサイドのイーグル」へとつないでいく。そのなめらかさと、足の開き方の厳密さ。
これは『羽生結弦は捧げていく』に収録した、羽生結弦の平昌オリンピックのエキシビションプログラムを私なりに解説した部分のほんの一部です。このプログラムに限らず、羽生結弦が平昌オリンピックからここまでで見せてくれたプログラムで、どのように「ダイヤモンドを散りばめた美しいネックレス」を氷上に作り上げていったか……を、この本では書いているつもりです(フィギュアスケート独特の「用語」についての説明ももちろん入れています)。
同時にこの本では、羽生結弦だけでなく、私が注目しているスケーターたちの「足元」を中心に、私の注目ポイントをできるだけ詳しく書いたつもりです。フィギュアスケートは言うまでもなく非常に美しいスポーツですので、私が今まで鑑賞してきたオペラやバレエ、音楽や映画から得てきた感動や知識とリンクさせることにも心を砕いたつもりです。
大切なことなのでもう一度言いますが、私は、「私の見方こそが正しい」などと主張するつもりは一切ありません。みなさんのものの見方は、それぞれに尊重されるべきものです。
この本が、フィギュアスケート観戦におけるみなさんの「A+」を生み出す、ひとつのきっかけになること……。私が望んでいるのはそれだけです。
フィギュアスケート観戦がもたらす、大人ならではの喜び
フィギュアスケート観戦というカテゴリーで生まれた「A+」が、読書や映画鑑賞や、さまざまな芸術にふれる際に、さらなる化学反応を起こし、読書におけるA+、映画鑑賞におけるA+、ファッションにおけるA+などが生まれるかもしれない。そうした生まれたたくさんのA+が、あなたの人生そのものを、より複合的で成熟した、洗練されたものに高めてくれるかもしれない……。
そうなったら、どんなに素敵なことでしょう。
新しい視点でインプットされた感動や喜びは、「ものの見方」や「考え方」を少しずつ多彩にし、かつ、深めてくれます。それを、さまざまなカテゴリーでアウトプットできるようになること……。
「文化を自分の中に取り入れる」
というのは、まさにこういうことだと私は思っています。
引退された名スケーター、町田樹氏は、「フィギュアスケートを文化にしたい」とおっしゃいました。私にとってフィギュアスケートはすでに素晴らしい文化のひとつですが、もしミモレ読者のみなさんに、その素晴らしさを少しでも伝えることができたなら、これ以上ない喜びです。
大人になればなるほど、楽しいことが増えてくる。それは揺るぎのない事実だと思います。自分の中の「A」を「A+」にする喜びは、大人であるほど感じる機会が多くなるものですから。
大人ならではの喜びを、今度はフィギュアスケートで感じてみませんか?
高山 真(たかやま・まこと)
エッセイスト。東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業後、出版社で編集に携わる。著書に『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』『恋愛がらみ。不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』『愛は毒か 毒が愛か』など。
『羽生結弦は捧げていく』
著者 高山真 集英社 860円(税抜)
フィギュアスケート・男子シングルでは66年ぶりの五輪連覇。「メダリストは翌年には引退や休養を選ぶ」ことが多いフィギュア界において、羽生結弦は現役選手として競技を続けることを選んだ。記録、記憶、名誉、称賛……すべての中心にいた絶対王者は、ケガと闘いながらも、より高度な技術と表現を磨き、さらなる進化を遂げている。前著『羽生結弦は助走をしない』に続き、五輪後から垣間見える新たな羽生の変化と挑戦を詳細に分析。ルール改正や今後の活躍が期待されるスケーターたちにも言及し、前例のない道を猛然と走り続ける羽生結弦とフィギュアスケートの世界を語り尽くす!
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