最近の日本は「モラル」をめぐって大論争となっています。一昔前までは、芸能人の不倫がここまで叩かれることはありませんでしたが、今ではタレント生命を左右することもしばしばです。
日常的な言動についても同じことが言えるでしょう。昨年に第1子を出産した女優の北川弘美さんが、ベビーカーで外出した際、優先表示のある地下鉄のエレベーターになかなか乗れなかったとブログに書いたところ、自己中心的だとして批判が殺到。その後、ブログで「反省」する結果となりました。日本はモラルに対して厳しい社会になっているのでしょうか。
日本は明治時代にキリスト教的な価値観を輸入しましたから、一般的に既婚者が他の異性と関係を持つことはよくないとされています。しかし、日本はどちらかというと性的にはおおらかな文化であり、不倫が絶対悪とされる社会ではないというのが一般的な認識だと思います。
タレントのベッキーさんは不倫について厳しく追及されましたが、近年になって、日本人のモラルに対する考え方が急激に変わったのでしょうか。おそらくそうではないと思います。
国民性というのは長い歴史の中で培われるものですから、一朝一夕に変わるものではありません。ひとつ考えられるのは、ネットの普及で不倫などの出来事が容易に可視化されるようになり、批判が集まりやすくなったことでしょう。しかしながらタレント生命を脅かす事態になることの説明にはなっていない気がします。
ヒントとなるのは、先ほど例にあげた北川さんのケースです。
北川さんに対する批判のほとんどは「自分が優先されて当然と思うな」という内容でした。北川さんは一応、「先に乗れて当然!とは思わないです」と前置きはしていますが、優先と書いてあるのにエレベーターに乗れないという状況に対して「腑に落ちませんでした」と発言していました。
北川さんを批判している人は、北川さんの「自分は優先的に乗れるはずなのに」という価値観に対して激しい怒りをぶつけています。つまり北川さんがガマンをしていない(ように見える)ことが、多くの人を苛立たせているわけです。
ベッキーさんのケースも同じ文脈で考えると、状況が理解しやすいのではないかと思います。
つまりベッキーさんの不倫については、日本人が結婚に対して厳しい内面的モラルを持っているのではなく、ベッキーさんが、(本当にそうなのかはともかくとして)ガマンをせず、自由奔放に振る舞っている(ように見える)ことが問題なのだと思います。
こうした事例から、日本人におけるモラルというのは、精神的・内面的なものではないことが分かります。皆がガマンしているのに、誰かその状況を破ることがモラル違反というわけですから、完全に外部的なものであるとみなすことができるでしょう(これはいわゆる前近代的ムラ社会の掟に近いものと思われます)。
この話はお金に対する価値観にも表われています。
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