先日、表紙の写真に添えられたことばにハッとして雑誌を手にとりました。

「見えない
ものまで
おいしい。

料理店へ。」

ひらくと、いくつかの料理店がたくさんの写真やお店のストーリーとともに紹介されていて、そのひとつひとつにグッと引き込まれてあっという間に読んでしまいました。

この号がおいしいレストランを紹介する他の情報誌と違うところは、シェフがどこで修行したのかや(さりげなく触れられているけれど店名はほとんど出てこない)どんな高級で珍しい食材を使っているかとか、評論家がどの料理がどうおいしいかと評価するところではなく、このお店をはじめた人たちが、どうしてこのお店をつくろうと思ったのかという想いや成り行き、この店をどんな人たちが訪れ、そこでどんな会話やつながりが生まれたり、お店をしていて幸せを感じることを丁寧に描き出している点です。

料理を食べておいしいと感じる、食材や調理法以外の要素で、「おいしさ」が生まれるプロセスや空気のようなものが物語られていました。

 

料理店を選ぶ基準は人それぞれですが、私は何度も何度も同じ店に通ってしまうタイプ。

そんな店は、料理はもちろんおいしいのだけれど、何よりもシェフやスタッフの人と気が合ったり、つかずはなれずの距離感で料理を運んで来てくれた時のちょっとした会話が心地よかったり、皿や盛り付けが好みだったり、まわりの人の話し声が大きすぎずちょうどよい喧騒感があったり。料理そのものだけでなく、それ以外の要素の居心地の良さが決め手だったりします。

実際、私も好きで度々訪れているお店も紹介されていて、そこは帰るときに「おいしかったです。ごちそうさま」と笑顔で手をふって、つい「また来ます」と約束してしまうお店です。薪の火の独特の香りとか、大きくてテクスチャーのある器とか、雰囲気がいいのに子どももOKで年齢も人数もバラバラの人たちがひとつの空間でそれぞれ食事を楽しんでいるところとか。

記事を読んでなるほどなと納得しました。

そして、あらためて「おいしい」が生まれる場所って、食材や調理法だけでないそれ以外の要素もとても大切なんだなと思いました。お客さんに語らなくても、見せていなくても、そこはかとなく漂ってしまう雰囲気や情熱、あたたかい気持ち。

もちろん、料理店だけの話ではないはず。

おうちのごはんだって、おいしさは料理がテーブルに乗る前から始まっています。この空気は一朝一夕にできるものではなく、日々の台所仕事や生活のいとなみから生まれてくるもの。

自分にとって、家族にとって、友人にとって、おうちのごはんが見えないものまでおいしい場所であるように。そんなヒントもたくさんの一冊でした。