最近、日本の観光地では多くの外国人を見かけるようになり、また日本で働く外国人も増えています。こうした中で、「中国人は……」「欧米人は……」と、その人の出身国に特定のイメージが伴ってしまうことも多いのではないでしょうか。

例えば何気ない話の中でも、「女性はコミュニケーション能力が高い」「日本人は勤勉だ」と言われたらどう思いますか。たとえ肯定的な表現であっても、当事者からすると、属性でひとくくりにされてしまうことに対する違和感が伴うこともあるのではないでしょうか。

ある集団のカテゴリーに対する特性を単純化して持つイメージを「ステレオタイプ」と言います。社会心理学では、人が頭の中で多くの情報を受け取って処理するうえでこうしたカテゴリー化は思考を円滑にし、時間を短縮して判断したり行動したりすることにつながるとみられています。

私たちは、子どものころからこういったことをしているようです。確かに、動物と人、女性と男性、子どもと大人、自分の所属する集団としない集団を見分けることは、生きていくうえで必要ですよね。そして「内集団びいき」をしてしまうというのも、生きるうえではごく自然な行動としてでてくるものだと言われています。

ただし、この「ステレオタイプ」に好感や嫌悪などの感情が伴うと「偏見」に、さらにそれを根拠に何らかの行動が伴うと「差別」になります。さらに肯定的なステレオタイプも含めて、偏見や差別をゼロにすることは難しいと言います。

私が今住んでいるシンガポールは、多民族国家で、外国人労働者も多いのですが、「○○人」に対する偏見が作られていってしまう様相も日々目の当たりにします。

たとえば、家庭という、身近な領域を支えてくれている家事労働者の「メイドさん」。シンガポール政府は住み込みでの就労を前提に、フィリピンやインドネシアから労働者を受け入れています。

しかし私自身、メイドさんを雇おうと検討していた際に、「フィリピン人メイドは賢いから気をつけろ」「彼女たちは知恵がついちゃってるから、何をするかわからないよ」という忠告をさまざまな人から受けました。それは時に、同じ家事労働者たちからも。

 
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