友達になっても、差別はなくならない
また、杉田議員は「LGBT差別はない」とする論拠として、「わたしなら気にしないで友達になれます」と言っているが、杉田議員個人と友達になったところで、公式非公式を問わず社会のさまざまな制度(慣習も含む)のなかに根付いたLGBTへの差別はなくならない。幸い僕の友人たちは皆僕の性的指向を尊重してくれているが、だからといって僕は恋人が急病になっても集中治療室には入れてもらえないし、手術の承諾書にサインはできないし、配偶者控除や扶養者控除も適用されない。
また、杉田議員は「当事者から聞いた話」として、LGBTを生きづらくさせているのは親や家族の理解がないからだ、という。たしかにそれはひとつの重大な原因ではある。しかし、僕たちが親や家族の理解を得るのに苦労するのは、僕たちが「あたりまえの存在」として認知されていないからに尽きるのである。
それを変えることができるのは教育であり、学ぶことだ。そしてこれらの制度や慣習を変えることができるのが政治ではないだろうか。
人権を経済決定論で語るな
国際世界観光機構(UNWTO)が作成した資料によれば、LGBT旅行者の経済効果はアメリカだけで年間650億ドル(65兆円)にも及ぶという。ニューヨーク州では同性婚合法化以降、婚礼関係の市場においてだけでも、2億ドル(200億円)規模の経済効果があったという。これ以外にも経済へのポジティブなインパクトは膨大なものがある。杉田議員は、LGBTの人権擁護の推進が、各国において直接・間接の大きな経済効果を生んでいることも、同性婚の合法化や男女の機会平等が、一人あたりの労働「生産性」を大きく押し上げるという客観的事実も見逃している。
しかしそもそも、人権問題は経済の文脈の中で経済決定論的に議論されるべきではないはずだ。むしろ、すべてを「生産性」という経済的概念に帰結させて、経済決定論的に論じるのは、杉田議員が忌み嫌う、かつてのコミンテルンの論法ではなかったか。
「性的指向」と「性的嗜好」の違いという基本中の基本を知らない人物が、よくLGBTについての論説を言論誌に発表しようと思ったものだとある意味感心するが、僕たちは、杉田水脈議員ご本人を徹底的に罵るまえに、彼女に学ぶように「促す」ことから始めるべきではないだろうか。
杉田議員に学ぶ機会を
今回の杉田議員の暴論に対しては、僕だって怒っている。怒っているどころでは済まない。『新潮45』誌の全文を読んだときには、悔しくて悲しくて、涙が出た。僕も、もし日本にいたならば、7月27日に自民党本部前に駆けつけていたことだろう。
「生産性」という、本来人間はおろか生物全般に対してすら使うべきではない言葉に対してはもちろんのこと、悩み、苦しんだ果てにたどり着いた、このセクシュアリティに対しての誇りを「嗜好」のひとことで片付けられたのは、到底容認できない。
しかし、だからこそ、僕は杉田議員を憎まない。僕は杉田議員の「無知」を憎む。
だから、僕は、敢えて彼女に対して「学ぶ機会」を提供したいと思うのである。そして、彼女の支持者たちに対しても、「僕たちについて知ってほしい」と呼びかけたいのだ。もちろん、杉田議員に「間違ったことは言っていないんだから」と励ましたらしい自民党のセンセイ方にも。
甘いと言われるかもしれないし、問題はもっと切実だと言われるかもしれない。いまは、怒りを前面に出すべきときだと言われるかもしれない。
それでも、僕たちの「自由」を守るためには、僕は双方が「適宜性」を持った言動を心がけるしかないと思っている。
僕たちが激しい言葉で相手を罵れば罵るほど、相手の思うつぼなのだ。
僕たちはいま、大きな声をあげるべき時である。しかしその声は、罵声であるべきではないと思う。罵るのではなく、語りかけよう。話し合おう。そして、学ぼう。
二元論ばかり行き交ふ白昼はただ花として眠つて過ごす
—小佐野彈『メタリック』より−
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