10日間というGWが幻のように過ぎ去りました。私は、本当にそんなに休んでいたのだろうか? 狐につままれたような気持ちにもなりますが……部屋に置いてあるパンフレットを見ると、「あ〜、確かにそれはあったのだ」と思うわけのです。

会場で買ったパンフレットとチケットの半券。

忌野清志郎さんが2009年に旅立ってから今年で10年。ひとつの区切りということで、今回がファイナルとなる「忌野清志郎ロックン・ロール・ショー」。それが、今年のGWの私のメイン・イベントでした。

  • 場所は、日比谷野外音楽堂。フジロックと並ぶくらい、清志郎さんにとても似合う会場だと思っています。
  • この日、雷鳴が轟いておりましたが、会場が雨で濡れることはありませんでした。東京各所で雨が降ったことを考えると、「きっと清志郎さんが……」と私のようにロマンティックに思ったファンは多数いたと思われます。
  • ステージ上には清志郎さんの愛車、オレンジ号が。


清志郎さんを好きになったキッカケ。私の場合は完全に夫の影響です。もちろん楽曲を知ってはいたのですが、聞き込んでいたわけではありませんでした。私にほとんど何も強要してこない夫が唯一「ライブをしっかり観てほしい」と言ってきたのが忌野清志郎さんでした。そして、初めてライブを観て以来、「なんじゃこの人!」と思い、一気に心酔。過去の楽曲もたくさん遡って聞いては、その世界観やメロディライン、歌声に「すごい、すごい」と感心。日比谷野外音楽堂で清志郎さんを見ることは叶いませんでしたが、野音のステージに立つ清志郎さんのDVDや動画をたくさん観てきているので(さらに、夫によるこれまでの清志郎さんの野音エピソードを聞かされまくっていたので)、この場所で、この日を迎えられることをとても楽しみにしておりました。

唐突ですが、こちらのコーディネイトで臨みました。リネンのオーバーオールはヴィンテージショップで購入したデッドストックです。
安心してください、ちゃんと仕込んでいますよ。「でも、なぜ、オーバーオールを着てきた私?」。ということで、吊り紐を少し下に調整しました。
どのTシャツを着ていこうか迷ったのですが(夫が多数のキヨシローTを所有しているため)、清志郎さんが描いた自画像のTシャツを。2009年の8月にラフォーレ原宿で開催された個展の時のものです。


ロックン・ロール・ショーは、清志郎さんに縁のあったアーティストが多数出演し、清志郎さんが遺した名曲たちを歌うライブイベントです。このようなイベントは趣向にいろいろと注文をつければ、それは観客の数だけ出てきてしまうものだと思うのです(もちろん私にもあるのです)。でも、最後に、(RCサクセションのメンバーだった)仲井戸麗市さんが「聞いているか忌野、そろそろ戻って来いよ。この10年間紆余曲折あったけど、なんとかここまできたよ。最後は清志郎のファミリーに捧げます。お父さんすごいな!」(正確ではないかもしれません)と空に向かって呼びかけた瞬間、誰しもが「これでいいのだ!」と思ったのではないのでしょうか。それくらい、やはり仲井戸さんの説得力はすごいものがありました。

サプライズゲストに木村拓哉さんが登場し、出演者総出演で『JUMP』『雨上がりの夜空に』で大団円。この日のライブの模様は、フジテレビTWOで6月30日(日)午後8時から放送されるそうです。ちなみに、出演者の方のMCによると、タイマーズのパートは全部カットされるそうで……。当時の追悼番組で坂本龍一さんが「今まで清志郎の歌を放送禁止にしていたのに、亡くなった途端に手のひらを返したようにもてはやすのがメディア」というような警鐘を鳴らしていた発言を思い出しました。


清志郎さんの楽曲の中で『君が僕を知ってる』という楽曲がとりわけ好きです。今回のイベントでは、エレファント・カシマシの宮本浩次さんが歌われました。

その歌詞に思いを馳せると、「僕たちはインターネットによって世界はどんどん広がり、つながっていき、それで一足飛びに幸せを引き寄せらられるような気持ちにもなるけれど、結局、つながりというものは皆それぞれの“君と僕”の関係の集積でしかないんだよ」と、清志郎さんが言っているような気がしました。

「君が僕を知ってる。分かっていてくれる(それだけで僕は充分!)」と歌う清志郎さんの歌声を思い出しながら、私のことをきちんと知っていてくれる人は誰だろう? 私が分かっていてあげたい人は誰だろう? そんなことを考え、今年のGWは終わりを告げたのでした。
 

今日のお品書き
中野さんの記事に詳しいですが、Twitterを中心に、「働く女性の声を受け、無職の専業主婦の年金半額案を検討」という報道をめぐって論争が巻き起こっています。#働く女性の声 というハッシュタグが登場し、年金行政そのものへの批判はもちろん、何より、まるで働く女性がそれを求めているかのような言い分に、働く女性たちが一斉に声をあげてます。なぜか社会の中に根付いてしまっている「働く女性vs専業主婦」の対立構造を払拭すべきタイミングにきているのだと思います。