職住分離で夫が長い通勤時間を耐え、長時間労働を担い、一方、子どもは3歳までは母親が家庭でみる――。専業主婦が将来の労働力である子どもや、激務の夫を家庭で癒し、職場などの「生産労働」へと再び送り込む。このような家庭での家事労働を、社会学では「再生産労働」と呼びます。
こうした妻の無償の再生産労働を前提として、家族手当が払われ、会社が家族ごと丸抱えで責任を負うような仕組みが企業の福利厚生や給与体系に盛り込まれました。専業主婦が老後に無年金になることが懸念されて第3号が作られたのは86年になってからですが、ある意味で「内助の功」に報いる仕組みが様々に作られてきたと言えるのではないでしょうか。
しかし、内助の功に報いる仕組みがひとたび作られると、それは主婦が働くことを抑制する種にもなっていきます。収入が130万円をこえると第3号をはずれ自分で保険料を払わなければならなくなるので、収入を抑えようとし、それが男女賃金格差につながり、夫婦間で妻が家事育児を全面的に担う合理性を上げる……という風に、循環構造になっている側面があります。
いまや、サラリーマン的に妻子を養える男性はどんどん減ってきていますし、女性の地位を上げるためにも、この時代に作られた専業主婦前提の仕組みは一つ一つ見直す必要があると私は思っています。鶏と卵の関係で、年金を減らす前に男女賃金格差をどうにかしろ、という声がある一方で、年金を含む制度があるからこそ男女賃金格差があるという側面もあるわけです。
年金制度自体の破綻も懸念される中、時代にも合っていない、平等な仕組みにもなっていないということで、年金制度の見直し自体は必須です。それは、「働く女性の声」として個人的に第3号被保険者が「ずるい」と思うからではなく、マクロとして。
もちろん今ある制度で既に生活設計をしている人たちにとっては、急転直下で変えられてしまうと生活が成り立たなくなる可能性があり、半額にするよりは夫から保険料を取るほうの案にするなどハレーションの少ない方法を選ぶ必要もあると思います。言葉尻に囚われずに、議論を続けていく必要があるテーマといえるのではないでしょうか。
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