メトロポリタン美術館(MET)のコスチュームインスティテュート主催の展覧会「キャンプ:ファッションについてのノート」が開幕しました。それに先立ち行われたパーティ、メットガラ(アナ・ウィンターが主催。コスチューム・インスティテュートは、MET唯一自ら活動を維持せねばならない学芸部門ゆえ、メットガラの主目的は資金調達)に今年も多くのセレブリティが思い思いの出で立ちで集まりました。
いや〜、それにしても、今年のメットガラはいつにも増して盛り上がりましたね。今年のテーマが発表された時から、かなり予想がついていたことではありましたが、「行き着いた感があったな」というのが私の感想です。
今年のテーマの「キャンプ」。もちろん、アウトドアで行うあのキャンプではなく、作家スーザン・ソンタグが1964年に発表した「<キャンプ>についてのノート」依拠した「キャンプ」、です。
この世には名付けられていないものがたくさんある。そしてまた、名づけらてはいても説明されたことのないものがたくさんある。そのひとつの例が、その道のひとびとのあいだでは<キャンプ>という名で通用している感覚である。
で始まる評論では、とらえどころのない感覚だからと、あえて議論の筋道をもった論文ではなく、58のメモで綴られています。「これはよすぎてキャンプにはならない」とか「キャンプとはスタイルを基準にしてみた世界のヴィジョンである」とか「ひどく誇張された人物に対して、とりわけ目立った反応を示す」とか……例に挙げられている映画や小説を観たり読んだりなどして、最終的には読み手が類推するしかないように書かれています。
端的に言うなら、「大袈裟なもの、不自然なもの、人工的で誇張されたもの」をよしとする感性。
そう表現されることが多いキャンプ。カウンターカルチャーはいつしかメインカルチャーに飲み込まれるように、アートがいつしか商業主義に飲み込まれるように……ソンタグの言うキャンプの感覚は、生み出されては、それに気づいた誰かが掴みにいき、そこに人々が続いた時点で既にそれはキャンプではなくなっている……そのうつろいを察知する感性なのかな、とも。つまり、各自の感性や審美眼を磨き、多勢に飲み込まれないことの大切さを述べているのが「キャンプについてのノート」だったのかな、と私は解釈をしています。
というわけで、ソンタグの言うキャンプそのものずばりを言い表す言葉やイメージはないため、それぞれ個々人の中にしか生まれようもなく、その結果が、今年のメットガラのカオスぶりなのかな、と思いました。
以下、ご参考までに!
METガラ2019を予習せよ! LGBTQ文化がファッションにもたらした果実。【前編】(VOGUEへ)>>>
(METキュレーター)アンドリュー・ボルトンが語る「キャンプ」という美学。【METガラ2019】(VOGUEヘ)>>>
スーザン・ソンタグがメットガラ2019を嫌悪しただろうと思える理由(ELLEヘ)>>>
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