酒井順子さんによる書き下ろし連載。実は「スポーツ好きで勝負好きな性分」と語る酒井さんが、最近卓球の試合の度に感じている変化とは……?

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趣味で卓球をしています。コーチについて練習をし、たまに試合に出ることもあるのです。
草試合であるとはいえ一応は「試合」なので、そこでは勝負がつきます。先日もとある大会に出場し、ちょっぴり勝って、たくさん負けました。

が、しかし。昨今の私は試合の度に感じることがあって、それが「負けてもあまり、悔しくない」ということなのです。

なぜ今私が卓球をしているかというと、中学校の頃に卓球部に所属していたから。40歳を過ぎた頃、近所に卓球クラブがあるのを発見し、昔とった杵柄ならぬラケットを、再び握ってみたという次第です。

多くの中学生がそうであるように、中学時代の私は、部活に没頭していました。せいぜい区大会で勝ち残って都大会に出る! といった程度の目標でしたが、頭の中の8割方を占めていたのは、部活のこと。試合で負けると、食欲がなくなるほど悔しかったものです。
部活に力を傾注しすぎて学校の成績は低迷を続け、「このままだと大学行けないわよ」と先生から言われたため、高校2年から料理研究部に転部。しかし「大学に入ったら運動を再開する!」という野望は、たぎらせていました。

大学では卓球ではないものの、とある体育会の部に入り、4年間を競技に捧げました。試合で負けると、悔しさと情けなさとで、膝を抱えて泣いたものでしたっけ。

このように私は、スポーツ好きで勝負好きな性分なのです。勝負事が好きというのは、当然ながら「勝つ」のが好きということ。子供の頃から、たとえ人生ゲームであっても、真剣に勝ちたいと思っていたものです。

だというのに、どうしたことでしょう。中年期以降は試合に負けても、かつてのように泣くほどの悔しさに見舞われないではありませんか。負けるよりは勝つ方が嬉しいものの、負けても「ま、こんなもんだわな」と、平然としているのです。

学生時代のようにスポーツに人生を捧げているわけではないので、悔しさもそれなりなのかもしれません。とはいっても、もう少し悔しくなってもいいのではないかと思った時に浮かんだのが、「加齢によって、感情はすり減るのではあるまいか」という疑問です。歯のエナメル質が年とともに摩耗するのと同様に、感情もまたすり減るのかもしれない、と。


あらゆる感情が鋭く、鮮やかだった頃


以前、中学生時代の日記が発掘されたことがあったのですが、そこには少しのことで怒ったり悩んだりという青臭い感情が、みっちりと記されておりました。相当恥ずかしい日記ではありましたが、「若いってこういうことだった」と、懐かしい気持ちにもなった。

その頃は、人生における山だの谷だのにどう対処していいものやら、全くわかっていませんでした。いちいち悶々としては、お先真っ暗な気分になっていたものです。

敏感だったのは、マイナスの感情ばかりではありません。悩みも深かった一方で、箸が転げたといっては笑ったり喜んだりもしていたわけで、つまりはあらゆる感情が、ティーンの頃は鋭く、鮮やかだったのです。

試合で負ける度に泣いていたのも、そのせいでしょう。おぼこい娘であった私は他に楽しみも知らず、負けたことによってこの世の終わりのような気分になっていたのです。

対して今の私は、自分が試合で勝とうが負けようが誰も気にしないし、世の中に何の影響も及ぼさないことを、じゅうぶんに知っています。「この世には卓球がうまい人がたくさんいるなぁ」と思うのみで、体育館からの帰り道では、「頑張った自分へのご褒美」というやつでケーキなど購入。家でバラエティ番組を見てゲヘゲヘ笑いながらそれを食べる頃には、負けたことすらすっかり忘れているのでした。

負けた悔しさが希薄、そして多少感じてもその悔しさが長続きしないお年頃になった今の私は、日本を代表するアスリート達が、世界大会などで負けて泣いている姿をスポーツニュースで見ると、眩しいような気持ちになるのでした。

「泣きなはれ泣きなはれ。悔しさを味わうことができるのは、今のうちだけ。その悔しさをとことんしゃぶり尽くして、二度と同じ悔しさを味わわないために、精進しなはれ」
 という感覚を、涙にくれるアスリートに対して抱くのです。


オドオドするおばさんはダサいと思っていたけれど


卓球の試合においてもう一つ感じるのは、「緊張しなくなった」ということです。学生時代は、試合の度に緊張して、前日からドキドキが抑えられなかったものでした。いざ本番が近づくと、緊張が高まりすぎて、えずきそうにすらなったもの。

ところが今は、どうでしょう。「ドキドキする」という感覚が、全く無いではありませんか。だからといって、練習通りの動きができるかというとそうではないのですが、とにかく緊張をせずに、淡々と試合に入っていくようになったのです。

これもやはり、加齢によって感情が摩耗してきたせいなのでは、と思うのでした。もしくは「慣れ」も、ありましょう。子供の頃から人前に立つのが苦手な“緊張しい”だった私。しかし大人になってからは、人前でちょっとした話をしなくてはならない機会も、増えてきました。するといつの頃からか、次第に緊張を感じなくなってきたのです。

中年になりたての頃、私は「人前で緊張している中年って、格好悪い」と思っていました。若い子が緊張しているのは可愛いけれど、おばさんがオドオドしているのは、ダサい。おばさんたるもの、どんな時でも自信を持って、堂々としていなくては、と。

しかし50代になってほとんど緊張しなくなると、今度は緊張が恋しくなってきたではりませんか。「あれ、ドキドキするって、どういう感覚だったっけ……。また味わってみたい!」と願うようになったのです。

 
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