先々週は娘が手足口病に、先週は息子が手足口病に感染して幼稚園や学校に行けなくなっていたのですが、娘が休みの間は夫は出張に出ていました。一件、どうしても外せない登壇の仕事があり、企画サイドに相談したところ、スタッフの方が会場の横の控室で娘を見ていてくれることになり事なきを得ました。

その後、夫が出張から帰ってきたときは心底ほっとしました。一時期、SNSなどで夫が長時間労働で妻が一手に家事育児を担うワンオペ育児のことを「平日母子家庭」、部活顧問で忙しい教師の妻を「部活未亡人」という呼び方が広まりました。大変さを表すのに極端な表現を使っているのは分かりますが、それでも、「いつか帰ってくる人がいるかどうか」「最後に責任を共有できる相手がいるかどうか」はとても大きな違いであるように思えます。

幼子を抱えているとき、もちろん子どもが病に苦しむ姿を見るのはつらいものですが、一番恐ろしいのは自分にもうつるなどして自分が倒れること。夫が出張で遠方にいる間は、共倒れだけは防がないといけないと思うと緊張の糸が途切れませんでした。それでも相談もできるし、「あと何日耐えれば大丈夫」と帰宅日までカウントダウンできることは心理的支えになっていたはずです。

6月15日に『なぜ共働きも専業もしんどいのか〜主婦がいないと回らない構造』という本を出します。共働き世帯も、専業主婦(夫)世帯も、しんどい……専業主婦の妻がいる前提の働き方をしていては、共働きは子育てとの両立がままならない。専業主婦は家事・育児を一人でまわすワンオペ育児の時間が非常に長く、稼ぎ主男性は働き方を変えたくても妻子を養う収入が落ちるリスクを冒せない――。こうした構造があることを指摘している本なのですが、もちろん、こうした夫婦以上にしんどい人たちはいっぱいいるでしょう。

夫婦と子どもという「標準世帯」と呼ばれる家庭の数がどんどん減っていく中で、夫婦がそろっているべきだと言いたいわけではありません。ただ、そろっていてさえしんどい。それは裏を返せば、ひとり親やひとりで介護を担う子どもはどれだけ大変かということにもなります。

本の中では触れていませんが、実は子育て真っ最中の母親たちに深く話を聞いていくと「子どもが巣立った後に夫と二人で過ごす気がしない」「離婚したいけど子どもがいるから」という発言がでてくることは珍しくありません。専業主婦は離婚した後に生活が成り立つだろうかと不安を抱え、共働きは「やっぱり人手としていてもらったほうがいい」という理由で、離婚をしたくても引き延ばしている事例にもちょくちょく遭遇します。

 

他国では強制的に養育費が徴収される事例もある一方で、日本は実家が頼れる、その他のソーシャルキャピタルが充実しているなどでないと離婚しづらいのが現実ではないでしょうか。本当は、夫婦がそろっていなくても、社会的に安心して生活できる枠組みを作らないといけないと思います。

ただ現実的に、まずは夫婦がそろっているケースを念頭に、稼ぎや家事・ケアの責任を時期によって組み合わせてうまく役割分担をしていくことが必要ではないでしょうか。拙著ではそのような観点で新しい働き方の可能性について検討しています。

何か一つのしんどさを訴えるうえで、世の中には他にもっとしんどいことがあることは、問題を指摘し、改善への模索を避ける理由にはなりません。解決しないといけないことはたくさんあるけれど、1つ1つできることをやっていかないといけないと思います。