第1部完結。宮藤官九郎が描いた「馬鹿」に学ぶこと【いだてん 24回】_img0
金栗四三(中村勘九郎)と仲間たちは、食料を背負って焼け野を走る。
24回「種まく人」 演出:一木正恵
あらすじ
関東大震災で荒廃した地で美濃部孝蔵(森山未來)は落語を行い、金栗四三(中村勘九郎)は食料を背負って焼け野を走る。小梅(高橋愛)は「丸焼け屋」と名付けた店ですいとんをふるまい、嘉納治五郎(役所広司)は「国民の寄付でつくった国民のための競技場ですから」と神宮外苑を避難所に提供した。そこでは復興運動会が行われ、行方不明になったシマ(杉咲花)の手紙に心打たれた人見絹枝(菅原小春)が参加して、見事な健脚を披露する。

前半のクライマックスにふさわしい熱量


「いだてん」第一部完結。日本人が初めて参加したストックホルムオリンピックから12年、山あり谷あり、まったく順風満帆ではない道のりの末、関東大震災で壊滅的な打撃を被ってしまったが、それでも復興運動会ではみんな笑顔でその先に向かって駆け抜けた。
なつかしい顔ぶれがたくさん揃った運動会の2日間、両日とも200人以上のエキストラが参加した。前半のキャストが勢ぞろいしたうえ、このシーンでクランクアップを迎えるキャストも多く、前半のクライマックスにふさわしい熱量の高い収録となったという。

 

「四六時中ふさぎ込んでもいられない。たまには笑いたいし酔っ払いたい」と言う清さん(峯田和伸)の言葉のように、悲しみに打ちひしがれてばかりもいられない。明治、大正を描いた前半をまとめる回は、誰もの心に火を灯す。1回から24回までずっと見てきて、毎回必ずわかりやすい大きなカタルシスがなかったとしても、ほらやっぱり最後にこんなに報われた。
見る者誰もが大なり小なり体験したことのある、またはいつか体験するかもしれない自然災害について、大正時代の史実を基に、2019年の今、どう向き合うか、作り手がとことん考え抜いた気持ちが、視る者の心に問いかけてくる。
災害時における冷静で迅速な行動から震災市長と呼ばれた永田秀次郎(イッセー尾形)。彼の指揮のもと、東京では人々が助け合う。一方で故郷に逃げる人も多く、四三も熊本に四年ぶりで帰るが義母・幾江(大竹しのぶ)はなぜ帰って来たと厳しい。

「逆らわずして勝つ。大地震に逆らうのじゃのうて、そん力を逆に利用して最終的に人間が地震に勝てばよか。柔能く剛を制す」と閃いた四三は再び東京へ戻って結果的に復興運動会を提案することになるわけだが、そこでの活躍ぶりは幾江が説明する「韋駄天」の語源そのもの。「韋駄天」とは「人々のために食いもんば集めて運んだ神様ばい」という俗説。食べ物のことを「ご馳走」と呼んだり、食べたあと「ご馳走さまでした」と言ったりするこの「馳」「走」という文字は走る韋駄天から生まれたという説もあるというお話。俗説でもなんでもこんなふうに考えて救いになるなら良いではないか。

浅草では音楽の大友良英と彼が率いるバンドのメンバーたちが演じる復興節を奏でる庶民たちが歌ったり、運動会では三島弥彦(生田斗真)が吉岡信敬(満島真之介)たちによるおなじみのTNGの声援のもと、戦友・四三と走ったり、第一部最終回らしい盛り上がりに。天狗倶楽部の中心人物だった押川春浪(武井壮)がそこになく、大正3年に38歳の若さで亡くなっていた(史実では)ことは寂しいし、なんといっても残念なのはシマが結局みつからないこと。だが、四三はシマが松明をもって走っていく幻を見たこと、夫・増野(柄本佑)も運動会を観戦するシマの幻を見たことで、それぞれに気持ちの落とし所をみつけた。
 

泣いても笑ってもいいじゃないか


24回で強烈に刺さったのは、「昼間は無理して笑っているけどさ(中略)つらくないわけないものね」と言う小梅に、「気が済むまで泣いて、こっちは聞こえないふりして、また明日何食わぬ顔でおはようって言うんだ。孝ちゃんにはそういう落語をやってほしいんだ」という清さんの言葉。
「泣いても笑ってもいいじゃないかっていうさ」。これだこれ。
「泣くのはいやだ笑っちゃおう」とか「辛いときこそ笑うんだ」とかいうようなちょっと気の利いたフレーズがドラマで出るとタイムラインがそれ一色になってしまう。そこへ「無理に笑うことはない」(「なつぞら」)と言うドラマが出てきて肩半分なでおろしたところ、ついに「泣いても笑ってもいいじゃないかっていうさ」というセリフが「いだてん」で出てきて私は両肩のちからがようやく抜けた。

 
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