音楽教室は生徒から対価をもらって音楽のレッスンを行っているわけですが、これは教育が目的であり、あくまで弾き方の手本を見せるために演奏するのであって、その演奏自体でお金を稼いでいるわけではありません。レッスン中の演奏によって、作曲者の経済的な利益が著しく侵害されているとは思えませんし、(人にもよるでしょうが)作曲者が自分の曲が音楽教育で使われたからといって、何としても著作権料を音楽教室から徴収して欲しいと強く望むはずがありません。

JASRACが潜入調査してまで守ろうとするのは何なのか?_img0
 

JASRACは、少人数を集めただけのごく小さなライブにも調査対象を広げ、著作権料を支払うよう強く要請しているそうですが、音楽の裾野を広げるこうした活動まで規制してしまうと、逆に音楽市場を縮小させる可能性すらあります。

筆者も職業として文章を書いていますから著作権を生活の糧にしている1人ですが、仕事とはいえ、お金のためだけに文章を書いているわけではありません。他の書き手もそうだと思いますが、多くの人に知ってもらいたいとの思いから筆をとっている面があり、常識の範囲内で、自身の著作物が紹介されたり、引用されることについては、権利の侵害とは考えないのが普通です。これは創作に関わる多くの人にとって共通認識だと思います。

音楽教室で教えている講師のほとんどが、本気で生徒に上手になって欲しいと思ってレッスンをしていますから、そのような中、2年間も生徒のフリをして、潜入調査されたことを知った時の失望感は言葉にできないものだったと思います(JASRACの職員はレッスンの成果を披露する発表会にまで参加していたそうです)。ここまで来ると一体、誰のための著作権なのかと首をかしげざるを得ません。

「JASRACはただ仕事をしているだけだ」という反論もあると思いますが、音楽の著作権者は、著作権管理について事実上、JASRACに委託するしか選択肢がなく、現状では著作権者の意思を反映する余地がありません。

最近では、テクノロジーの進歩によって、「スポティファイ」に代表される音楽聞き放題サービスが全世界的に普及しており、音楽消費のあり方にも根本的な変化が生じています。日本についていえば、高度成長から成熟社会へのシフトが進んでいますから、音楽をはじめとするコンテンツの裾野を広げることは経済的にも大きな意味があります。

以前、このコラムで、歩道に看板が1センチでもはみ出ていると、法律違反だとして激しく抗議する「正論おじさん」を取り上げたことがありますが、民主国家において法律を運用する際には、条文に書いてあることだけを厳密に適用するのではなく、その法律が出来上がった背景や価値観についても考慮に入れなければなりません。

著作権法というものが、なぜ出来上がったのか、何を保護するための法律なのか、もっとオープンな議論を行い、コンテンツを作る人と消費する人の両方が満足できる最適解を模索すべきだと筆者は考えます。

前回記事「デキる人ほど「ギブ・アンド・テイク」を徹底しているワケ」はこちら>>

 
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