女優デビュー20周年を迎えた米倉涼子さんに特別インタビュー。テレビでは見せない“素の米倉涼子”とは……?
過去でも未来でもなく
目の前のことを大切に
今年、女優生活20周年を迎えた米倉涼子さん。愛してやまないブロードウェイミュージカル『シカゴ』の舞台にも立ち、アニバーサリーイヤーを駆け抜けている。 お祝いの言葉とともにインタビューを始めると、彼女から真っ先に返ってきたのは「キャリアに満足していないから、おめでたくはないんです」という一言だった。 「私の周りにはもっと長くやっている方がたくさんいますから、まだお祝いしてもらうようなキャリアではないと思っています。でも"やっと成人しました"くらいは言ってもいいのかな(笑)。満足できるのは出会いくらいですね。周りにいる人たちが変わっていなくて、それはすごくうれしいこと。もちろん新しい風も入っているので、これからも上手に循環していけたらいいなと思っています」
1999年に女優宣言をして、初めて出演したドラマは2000年の『恋の神様』。「セリフは"きゃー変態"だった」と、モデルからお芝居の世界に入った頃のことを今でも鮮やかに記憶している。「最初はどこで着替えるのか、どこに座ればいいのかもわかりませんでした。そのときに思ったんですよね。バジェットと見てくれる人の数が違うだけで、ロケバスで座る場所やメイクの順番さえもわからなかった、モデルの世界に入った頃と同じだなって。だからひとつひとつ必死に経験を重ねていくしかないんだなと思ったことを覚えています」
モデルとして活動していた頃には、動きが大きすぎてファインダーからはみ出してしまうと言われ、ならば私には女優の世界が向いているかもしれないと踏み出した。けれど彼女を待っていたのは、甘くない現場からの声だった。「自分で意識しているわけではないのに"目力が強すぎる"という指摘を受けたんです。大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』のときには"黒目に落ち着きがないし、強すぎちゃうから使えない"と言われました。どうしようかと考えて、リハーサルのときにマネージャーにデジカメでモニターを撮ってもらって、自分がどう映っているのかを確認してから本番に入るということを3年くらいはしていましたね。同世代の女優さんたちがたくさん出ていた『愛と青春の宝塚』の頃も口には出さずとも、がむしゃらにやっていました」
帯状疱疹が出てしまうほどのストレスを抱えながらも試行錯誤を重ねるうち、主演女優として求められる存在になっていく。 「主演を目標にしていたので、さぁ、はじまったな! という感覚でした。振り返ってみると、自分の内側のお芝居の構想と外側に見えている表現とに差があって、うまく合致するまで時間がかかったような気がします。でも『黒革の手帖』などに挑戦しながら、見え方を追求しすぎると、おもしろみが減ってしまうこともわかってきて。形を決めてお芝居をするのではなく、気持ちを大事にしてお芝居をするようになりました」
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