3

雅子さまの小学校時代の作文を公開「ピアノ、スポーツ、生きものがお好きなおてんば少女」

17


ローラースケートを滑る日焼けしたおてんばな少女


やがて雅子さんは田園調布雙葉小学校に編入します。かつて母の優美子さんも通った田園調布雙葉小学校の紺の制服姿で登校し、母の期待通りに成長します。

雅子さんの家族は、目黒区の母方の実家を改築して住むようになります。古いけれども、広くて造りのしっかりした家でした。
庭には池がありました。雅子さんと双子の妹たちは外で遊ぶことが多く、たくましく日焼けしたおてんばな少女時代を過ごしています。
当時はローラースケートが流行していましたが、姉妹3人は転びもせず、とても上手に滑っていたそうです。ローラースケートをするときには、ヘルメットをかぶり、膝当てひじ当てをきちんとつけていました。少しでも危険が感じられる遊びには、事前にカバーするという優美子さんの配慮でした。

小和田家の姉妹は仲よしでした。ピアノを習っている雅子さんは、バイオリンを習い始めた妹たちと一緒に合奏します。
「うらやましい光景でした」
と記憶している友だちが何人もいます。

雅子さまの小学校時代の作文を公開「ピアノ、スポーツ、生きものがお好きなおてんば少女」_img0
雅子さま、ピアノの発表会で。写真/宮内庁提供

昭和48年(1973年)、雅子さんは通っていたビアノ教室「若草会」の発表会で「柱時計」を弾きました。
「ひとつのミスもありませんでした」
ピアノの松本延枝先生は語ってくれました。


母親ゆずりの面倒見のよさ


小和田家を訪れた友だちは、母の優美子さんの優しさや面倒見のよさに感激しました。
家の近くには駒沢公園があります。ある友だちは、雅子さんと礼子さん、節子さんとたびたび駒沢公園に出かけています。自転車を押しつつおしゃべりを楽しみながら、公園まで歩いていくのです。優美子さんとお手伝いさんが一緒です。
公園では、自転車を乗り回して遊びます。お手伝いさんだけが、自転車に乗れませんでした。
「雅子さんのお母さんが『乗り方を覚えましょう』と言ってくれて、私を自転車に乗せて、後ろをしっかり押さえて押してくださったんです」

雅子さまの小学校時代の作文を公開「ピアノ、スポーツ、生きものがお好きなおてんば少女」_img1
雅子さま8歳。軽井沢で初めてのゴルフ。写真/宮内庁提供

優美子さんの面倒見のよさは、そのまま雅子さんに引き継がれています。彼女の得意な学科は理数系です。同級生が塾に通い始めた時代に、雅子さんは学校の勉強だけでよい成績が取れる生徒でした。そんな雅子さまには、テスト前になると同級生からの電話が増えるのです。
「オワに電話をして、必死に考えてもわからないところを聞くのです。すると、オワが考えたり調べたりして教えてくれるんです」


犬や猫からハムスターやカメレオンまで飼う動物好き


田園調布雙葉小学校で、雅子さんは生物部に所属していました。子どものころから動物が好きで、家ではハムスターやカメレオンを飼っていました。昆虫も好き。一時期、雅子さんの家には犬も猫もいて、さながら動物園のようだったといいます。
6年生の夏休みに、ハツカネズミを3匹預かって漬物の樽に入れて観察していると、ネズミ算で増えてしまい、夏休みの終わりごろには50匹くらいになってしまったということもありました。

「ある夜、その50匹のネズミが樽をかじって全部脱走してしまったんです。慌てて保健所に連絡して、大騒動になりました。
私も子どものすることにとやかく言わないほうでしたから、小さなときには勉強などもあまりしていなかったようでした。ただ、宿題だけは必ずすること、それからできれば今日お習いしたことは必ず一度は目を通すようにと言ってきました」(優美子さん)

昭和51年(1976年)3月、雅子さんは小学校を卒業しました。卒業する際に書いた作文をご紹介しましょう。

「クラブ」
                          小和田雅子

 六年間の思い出といえば、修学旅行、林間学校、遠足、運動会など、たくさんあります。
 でも、とても印象に残ったのは、六年の十一月十四日のクラブです。私は、五年の時は手芸部で、今年は生物部です。生物部は、六年四人と五年二人、岸田先生の、小さいクラブです。
 この日、私たちは、「コジュウケイ(原文ママ)」のはくせいをつくることにしました。その鳥は、学校の窓ガラスにぶつかって、死んだのだと先生はおっしゃいました。
 肛門から、はさみを入れて、お腹の皮をさきます。その後、肉を切らないようにして、中の肉をとり出します。そのためには、足とつばさを、適当な所から、切らなければなりません。足は、うまくいきました。つばさも一こできて、残るは、つばさ一ことなりました。そこは、先生がなさいました。ところが何という失敗! 先生は、つばさを切り落としてしまったのです。あと、頭のところの肉をとれば、肉がとれたのに。そして、かわかしたあと、中身を入れて、はくせいができたのに……。とても残念!
 雅子さまの小学校時代の作文を公開「ピアノ、スポーツ、生きものがお好きなおてんば少女」_img2
 

美智子さまから雅子さまへ 三部作1 美智子さまの想いが雅子さまへ 雅子妃誕生
価格 1500円(税抜)


外交官だった小和田雅子さんは、皇太子・浩宮さまに見初められて皇室に入ることに。雅子さまの生い立ちやから皇太子の熱い求愛、ご成婚までの軌跡が余すところなく盛り込まれた作品。雅子さまと同じく、平民から皇室に入られた美智子さまのお姿を交えて描きます。

 

 
雅子さまの小学校時代の作文を公開「ピアノ、スポーツ、生きものがお好きなおてんば少女」_img3
 

美智子さまから雅子さまへ 三部作2 美智子さまもご祝福 雅子さまに愛子さま誕生
価格 1500円(税抜)


涙の流産を乗り越え、愛子さまをご出産された雅子さまの苦悩と喜びのすべてが一冊に。皇室という見知らぬ世界に入り、お子さまを生まなければならない重圧を、雅子さまはどのように乗り越えたのでしょうか。美智子さまから雅子さまに伝える母の想いを織り込みます。

 

雅子さまの小学校時代の作文を公開「ピアノ、スポーツ、生きものがお好きなおてんば少女」_img4
 

美智子さまから雅子さまへ 三部作3 美智子さまもお支えに 雅子さまご成婚十年の苦悩
価格 1500円(税抜)


愛子さまをご出産されたのち、適応障害になり長期の療養生活を送られた雅子さま。ご成婚から10年を迎え、病と闘われているご様子に触れた作品です。雅子さまをやさしく包み込む、皇太子浩宮さまと美智子さまの愛に胸打たれます。

  

本文、キャプションは過去の資料をあたり、
敬称・名称・地名・施設名・大会名・催し物名など、
その当時のものを使用しています。
写真/渡邉みどり(クレジットのないもの)
構成/高木香織、片岡千晶(編集部)
この記事は2019年9月5日に配信したものです。
mi-molletで人気があったため再掲載しております。

第1回「雅子さまの語学力を育んだ「家庭の方針」とは?〜幼少時のアメリカ生活と好きな童話」はこちら>>
第2回「雅子さまがロシア語を話せる理由。〜モスクワでの幼少生活」はこちら>>

  • 1
  • 2