何を隠そう、中学時代、デビューしたての頃から浜崎あゆみさんが大好きでした。おそらく同級生に聞いたら「学年1、2を争う(というか多分1位の)あゆ好き」だったと証言してくれると思います。
ご本人が書いた等身大の歌詞の1つ1つに心うたれ、話し方がぶりっこで「バカ」っぽいと言われても、CDは全部買って、テレビ番組は全部録画してかじりついて見ました。そしてセルフプロデュースで作り上げていくライブにも足を運んで……。私にとって初めて入れ込んだアーティストで、生き方そのものを応援していました。
中学生の私はこの本の中にでてくる、「浜崎あゆみはバカじゃない!」と題されたオールナイトニッポンもリアルタイムで聞いていたし、また人気が出た後に失踪した数日があり、本で語られる「メイ」さん(実名はおそらくNから始まる別のお名前)が探しに来て事なきを得たことも、いちファンとして知っています。
でもその時期、〝あゆ〟ご本人がどんな想いをしていたのか、あんなに立て続けにシングルスをリリースして大丈夫なのかと心配になるくらいの駆け抜けっぷりの背景に何があったのかは、当然知り得る立場にはありませんでした。
だから、約20年を経て書籍『M』で彼女のライフストーリーとともに挿入される歌詞の1つ1つは、私の頭の中では完全に当時の浜崎あゆみの歌声で再生され、それがいつどういうタイミングで描かれたかを知ることは、納得感とともに新たな価値を付加してくれています。
実話をもとにしたフィクションということになっていますが、平成の歌姫誕生物語として、書き手の小松さんによってその時代感もふんだんに盛り込まれた「ほぼノンフィクション」として、評価できるのではないでしょうか。
そのうえで、浜崎あゆみというアーティストがうまれた背景を語るには、専務、あるいはmax matsuuraこと松浦勝人さんとのことは切り離すことはできなかったと思います。ファンの間でも何かあると噂されることはあれど、本人の語りをもとにしたストーリーが公開されることは、単なるスキャンダルとしてではなく、それまでの歌詞でもいつも等身大のあゆを発信してきてくれた濱崎歩さんの歩んできた道そのものであり、価値のある記録と思います。
だからこそ、『M』を読みもせずに、ただの暴露本のように評する人が多いのは許せません。
私自身、高校時代アメリカに留学してしまったこともあり、まさに『M』の最後に出てくる歌、「MARIA」の少し後を境にファンを名乗れるほどのフォローはしなくなってしまいました。
もちろんファンによっても思いは違うでしょうし、受け止めはそれぞれでしょう。少し前まではそのアーティストやタレントさんが好きな人だけが触れたであろう本や作品の内容が、ほんの一部だけ抜粋されてメディアコンテンツ化され、興味のない人にまで提供されてしまう今。それだけに批判もあるようですが、あまり好きでない人は読まなければいいし、読んでいないならあーだこーだと批判もしないで放っておければいいのにと思います。
同世代の安室奈美恵さんが引退されてからも、インスタなどには生き生きと活動する〝あゆ〟がアップされています。元ファンのひいき目はあると思いますが、人からどう言われようが、他の人がどうであろうが、突き進み続ける〝あゆ〟はやっぱり、今も最高にカッコイイです。
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