恋愛が成就しないことを選ぶ人たち


思いを寄せる人に自分の思いを打ち明けたいと思う。しかし、自分の思いを打ち明けても、受け止めてもらえないという事実に直面することを恐れる人がいる。そのような人は、自分の気持ちを打ち明けようとはしない。何もいわなければ、相手に自分の気持ちは伝わらない。だが、その人とは関係が生じることもないのだから、傷つくこともないのである。

 

自分の思いを打ち明けられないと思うための理由はすぐに見つかる。自分のことを自分でも好きとは思えないのだから、他の人が自分のことを好きになってくれるはずがはない、そう考えればよいのである。

 

恋愛関係に入らない理由を、相手に求めることもある。結婚に憧れている若い人から運命的な出会いがないという話をよく聞くが、そのような人は、出会った人を結婚するパートナーの候補者から外すためにそう言っているだけである。

現実に出会う人を、現実からかけ離れたシンデレラ・ストーリーに描かれる理想の男女と比べるのは、その人を恋愛や結婚の対象にしないためである。候補者から外すためには「ロマンティックで理想的な、あるいは、手に入れられない愛」を創り出せばいい。このような愛を創り出す人は、相手の価値を過剰に高めることによって自分の価値を下げている。

また「手に入れられない愛」を創り出すには、恋愛の成就が困難な人を好きになればいいのである。後に恋愛がうまくいかなくなった時、もしも彼や彼女が普通の人だったらうまくいったのにといえるからだ。

同時に二人の人と恋に落ちる人も、そのことを愛の成就が困難である理由にしたい人である。アドラーは「二人を愛そうとすることは、事実上、どちらも愛していないことである」といっている。二人のうちどちらを取るかで悩むことには目的がある。どちらにも決めないためである。
 
このように、愛の関係に入ることに踏み切れなかったり、恋愛が成就しないことや相手を決められないことで悩んでいる人は、まわりの人には不幸に見える。だが、その不幸は自分で選んでいるのである。


幸福になり注目されなくなることを恐れる人たち


何か問題を抱え、そのため自分は不幸であると思っている人が、幸福であろうとはせず不幸であり続けるのは、不幸であれば他者の注目を引くことができるからだ。幸福になれば、もはや誰からも特別の注目を得られなくなることを知っているのだ。

多くの子どもは病気になった時、親が看病してくることを最初は喜ぶが、やがて病気が治ると、親が自分から離れていくのではないかと不安になる。回復することを本来喜ばなければならないはずだが、病気の最中ほど親から注目されないことを知ると、治ってはいけないと思う子どもがいても不思議ではない。実際、医学的には何の問題もないはずなのに、病気がぶり返すことがある。

人は不幸であれば、まわりの人から注目されるが、幸福になると注目されなくなることを知っている。幸福になりたいといっている人でも、その実、幸福になれば注目されなくなることを知っているのである。

このような人は実のところ、不幸になりたいわけではなく、注目されることで特別な存在でありたいだけである。しかし、特別でなくても幸福であればいいではないか。幸福こそが至上の価値なのだから。

岸見一郎
哲学者。1956年生まれ。京都在住。高校生の頃から哲学を志す。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。哲学と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。古代哲学やアドラー心理学の執筆、講演活動、また精神科医院などで多くのカウンセリングを行う。著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(ダイヤモンド社)、新著『哲学人生問答 17歳の特別教室』(講談社)などがある。

 

 

<書籍紹介>
『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの知恵』

岸見一郎著 講談社 ¥760

アドラー心理学の第一人者として知られる著者が、アドラー、ソクラテス、プラトン、ソロンなど様々な古代ギリシアの哲人の智恵から、「幸福」について徹底的に追求。私たちはなぜ幸福になれないのか、幸福への道とはどのようなものなのか。そして人生をどう生きるべきなのかを、あらゆる視点から論じた一冊。


文/山本奈緒子

「ベストセラー『嫌われる勇気』の著者が説く「本当の幸福とは何か」」はこちら>>

 
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