年齢を重ねるとともに、仕事もメイクもおしゃれも手堅く効率よくできるようになる一方、どんどんルーティンになっていく……。「新しい私なんてもう見つかりっこないと、自分に退屈した瞬間に老けていく」と語るのは、美容ジャーナリストの松本千登世さん。

 

1月に発売した新刊『「ファンデーション」より「口紅」を先に塗ると誰でも美人になれる』では、これまでの自分とはちょっと違う自分に出逢える100のメソッドが紹介されています。
素敵に歳を重ねていくために、日常の習慣を義務からときめきに変える方法を教えてもらいました。

 



「スキンケアはメイクアップである」と考える


私たちの仕事のひとつ、それは化粧品の「新製品発表会」に参加すること。美容の進化を知れば知るほど、製品の魅力のみならず、ファッションのトレンドも女性の意識も、時代のムードや社会の責任までもが見えてきて、伝えるという立場としても、一女性としても、心の底からわくわくさせられます。

そんな日々を過ごす私たち、じつは、半分冗談ながら、「右手より左手が綺麗」と言われています。右利きの場合、スキンケアの使い心地や仕上がりを、左手の甲で試しているから。つまり、スキンケアをした左手の甲と、そうでない右手の甲を比較して、瞬時に「差」を実感。しかも、その差を日々、積み重ねているから、知らず知らずのうちに左手と右手に違いが生まれているのです。スキンケアをする、しないには、こんなにも差があるのだと改めて痛感させられています。

 

思えば、私たちは日常のスキンケアで、右と左、するとしないの差を比較することはあまりありません。せっかくスキンケアをしているのに、その効果を目で見ることがあまりない。それが、スキンケアが義務になったり、惰性になったりする理由。

ただ、スキンケアをした瞬間に、ぱっと明るい肌色になったり、瞬時にもちっと吸い付く質感になったり。前とあとで比較するとよくわかります。そう、スキンケアはある意味、メイクアップなんです。

この繊細な差を目で見て手で触れて、体感してほしいのです。スキンケアでメイクアップできたかどうかを、体感してほしいのです。それが明日の肌を育むと信じて。未来の肌クオリティを左手のようにするか右手のようにするか……! スキンケア=メイクアップと自分自身に言い聞かせながら、励む日々です。


ときには、思い切り着飾ってみる。


海外でも活躍する仕事仲間は、決まってこう口にします。
「もっと日本にも、ドレスアップの場があったらいいのに」

海外では、大人たちは、仕事を終えて一度家に帰ってから、着飾ってディナーやパーティに出かけたり、コンサートや舞台を鑑賞に出かけたりすると聞きます。普段は、デニムにスニーカーの人が黒のドレスに着替えていたり、昼間はヌーディなリップグロスだった人が、真紅の口紅に塗り替えていたり、ふわんと無造作な髪がきゅっとタイトにまとめられていたり、爽やかなアロマの香りだった人が濃密なフレグランスを纏っていたり……。その差にぐっと惹きつけられるというのです。

ところが、私たち日本人にとっては、ディナーもコンサートも、「日常」の延長。仕事帰りに、化粧直しもそこそこに向かうことも多いし、たとえ週末だったとしても、そこまで着飾ることに慣れていない気がするのです。

Photo by Luka Brajkovic on Unsplash

ファッションにもメイクにも、もっと「特別」があってもいいのだと思います。自由に、大胆にいつもと違う自分を演出する機会が。特に、欠点カバーにばかり目が向きがちな私たち大人なら、なおのこと。

特別な自分が自分をはっとさせる、結果、日常の自分も慈しむことができる……、そんなプラスのスパイラルが生まれる気がするのです。これこそが、お洒落の醍醐味ではないでしょうか?

親しいメイクアップアーティストの女性が誘ってくれました。
「今度、思いっきりお洒落して、食事に行かない? 場がないなら、自分で作ればいいのよね」

 
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