みなさん、こんにちは~。
さて、先週お話した通り、2019年の「母とヨーロッパへ行く」旅はイタリア、スロヴェニア、クロアチアの3ヵ国をクルマで巡る旅でした。今回は、そのスロヴェニアとクロアチアの町についてお話します。

イタリアは20代から50代にいたるこれまでに何度か訪れたことのある国ですが、実は旧ユーゴスラビアのスロヴェニアとクロアチア、冷戦時代の東側だった国々を訪れるのは初めてでした。ミーハーな私(おそらく母の血)は、基本的に旅行者によく知られている西側の有名な国を選ぶことが多かったのです。日本人が少ないところがいいわ、という母の希望と、私の旅好きの端くれとしてのプライド(何やそれ?笑)として、せめてその中のあまり観光地化されていない素朴な町や村を訪れるというのが関の山でした。

その土地の言葉もわからないうえに、かつてテレビで流れる映像から冷戦時代やユーゴスラビア紛争をオンタイムで知っている私にとっては、個人旅行で行くことが何となく怖かったという側面もあります。でも、最近ではクロアチアのドブロブニクやザグレブなどはテレビで特番が組まれたり、素敵な旅行本も売られたりしていて、旅行者に人気の国々の仲間入りをしています。

クロアチアのポレッチから臨むアドリア海の綺麗なこと! 水が透き通っています。

せっかく国境沿いのトリエステにも行くのだから、と母に提案すると、母も何の抵抗もないようで、「あら、いいわね」と快諾。すんなり3ヵ国レンタカーの旅は決定しました。地方の国境沿いの街を目的地に選べば、ヨーロッパは地続きなので案外、母を連れてでもそんなに負荷もなく、運転も難しくなく行けるのだなと新たな発見もありました。

 

さて、今回訪れた町は、クロアチアは先週お話ししたモトブンとポレッチ、スロヴェニアはコペルという町です。3つともアドリア海に小さく突き出たイストラ半島にあります。

クロアチアのポレッチは、古代ローマ帝国時代に軍事拠点として築かれた港町です。その歴史をまざまざと見せてくれるのは、デクマヌス通りという石畳のメインストリート。

こちらがデクマヌス通りの石畳。長い年月を経て、石の表面はつるりと輝いています。

こちらの道幅はローマ兵士が10人並んで歩けるように造られたそうで、そこから2000年もの間、ヴェネチア共和国だった時も、オーストリア・ハンガリー帝国だったときも、そして旧ユーゴスラビアだった時もその当時にこの町で暮らした人々が行き来した道。石畳の表面は、滑らないように気を付けてね、と母に頻繁に声を掛けなければいけないほど、すり減って自分が映り込むくらいピカピカです。

この古代ローマ時代に作られたメインストリートや、初期ビザンチン芸術のモザイクで有名なエウフラシウス聖堂(4~6世紀)をはじめとして、その時代時代に支配された国の文化を吸収してさまざまな建築様式で建造物が作られていて、今も現役でそこにある。そのことが本当にお得な気分にさせてくれます(笑)。 一つの町で、いろいろな文化が見られるのですから。

 
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